仮設住宅があるグラウンドで――志津川高野球部が迎えた特別な卒業式
仮設住宅から聞こえる校歌
震災から3年…被災地・高校野球部の現在を追った(写真は志津川高野球部の松井監督) 【篠崎有理枝】
南三陸町では、多くの家が流出し、現在も町民の多くは仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。志津川高の校庭は半分ほどにしきられ、野球部の外野ネット付近には仮設住宅が建ち並んでいる。ここに建てられた仮設住宅は木造のしっかりとしたもので、仮設と言われてイメージするプレハブのものとは異なる。それが、仮設住宅での暮らしが長いものになっていることを物語っていた。
校庭での練習は、内野手のノックだけ。打撃練習は室内の練習場のみ。生徒たちは試合の時に初めて広い空間でバッティングをするという。それでも同校教諭の松井康弘監督は笑顔で話す。
「練習をしていても『うるさい』なんて言う人は1人もいないんですよ。練習試合の時、校歌を歌うでしょ? 仮設の方から一緒に歌声が聞こえたり、手拍子してくれたりするんですよ」
以前は町民のほとんどがこの志津川高校に進学していた。仮設住宅で暮らす人たちも、慣れ親しんだ校歌なのだ。
過酷な環境の中での練習再開
震災直後「SOS」と書かれていたグラウンドには仮設住宅が並び、不自由な暮らしがいまだ続いている(写真は2013年9月1日のもの) 【写真は共同】
「練習をしたくても場所がなかったんです。2つに分かれた校舎のちょうど中間地点に野球ができる中田球場があって。登米市の教育委員会にお願いして貸してもらったんです」
松井監督が自ら交渉し、やっと練習場所が確保できた。しかし、練習再開には保護者から反対の声が上がった。汗をかいてもお風呂に入ることができない、洗濯もできない……そのような状況の中、反対の声が多いのも当然だった。それでも「野球をやりたい」という生徒たちが親を説得し、何とか練習を開始することができた。
「街灯もない暗闇を野球場から、それぞれに散らばった仮設まで送迎してくれて、本当に保護者の方たちには感謝しています」(松井監督)