羽生結弦が表現するシェイクスピアの悲恋=フィギュア プログラム曲紹介Vol.2
羽生のFS曲『ロミオとジュリエット』。運命のいたずらや不条理、心の機微や罪深さを繊細に演じている 【坂本清】
運命のいたずらや不条理、心の機微や罪深さを繊細に表現
羽生は『ロミオとジュリエット』の楽曲を以前にも使用していた。今季の曲は「王道」と言える 【坂本清】
ニーノ・ロータはイタリアが生んだ巨匠であり、映画音楽では、フェデリコ・フェリーニ監督作品のほとんどを手掛けています。他にも、太陽がいっぱい(60年)、ゴッドファーザー<愛のテーマ>(72年)など、名曲を挙げたらきりがありません。
演技冒頭の不穏な印象の曲は、ストーリーの中ほどで、ロミオが親友マキューシオを殺したキャピュレット家のティボルトを追いかけるシーンで使われています。羽生選手が少し強面で演技をしているのは、若さゆえに抑えがきかない怒りと憎しみを表現しているのかもしれません。
モンタギュー家の一人息子ロミオは、広場で起こった両グループの争いに巻き込まれ、親友であるマキューシオを目の前で殺されてしまいます。逆上したロミオは、止める友人たちを振りきり敵グループを追いかけます。そして結果的にティボルトを刺し殺してしまいます。
サウンドトラックの中では、『The Death of Mercutio and Tybalt』という曲名が付けられています。まさに、『マキューシオとティボルトの死』です。ロミオがジュリエットの死を知り、追放先から馬で墓地に駆け付けるシーンにも同じ曲が使われています。
ストーリー全体に流れるテーマ曲は甘く切なく、激しい愛と避けられない悲劇を予感させる美しいメロディです。
キャピュレット家の墓地での亡きがらとの再会、仮死とも知らず嘆き悲しみ、自らの命を絶つロミオ。まもなく目を覚ましたジュリエットが短剣で胸を突き後を追うシーン。さまざまな運命のいたずらや不条理、心の機微や罪深さを、羽生選手は実に繊細に表現しているように思います。
後半ビールマンスピンの後に、ベローナの街に響く鐘をイメージした音が入っていますがお気づきになられたでしょうか。映画のラストにも若い2人の死を悼む鐘が何度か鳴るのですが、実に効果的であり印象的です。
シェイクスピアが描いた、対立した2家族間の悲恋
元になっているのはギリシア神話の『ピュラモスとティスベ』という話で、憎み合う2家族の息子と娘が恋に落ち、駆け落ちを企てるところから始まります。待ち合わせた桑の木の下でちょっとした行き違いが起こり、若い男女は命を絶ちます。この神話は時代と共にさまざまに形を変え、やがて舞台が14世紀のベローナに設定され、時代のエッセンスを加えシェイクスピアの戯曲へとたどり着きます。
ロミオとジュリエットに登場する2家族は、史実に沿うように考案されています。当時大きな力を持っていたローマ教皇グレゴリウス9世と、教皇から2度の宗教的な波紋を受けた神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世の対立がベースにあります。
イタリアの都市べローナの支配層は、教皇派と皇帝派で真っ二つに分かれていました。話の中ではロミオのモンタギュー家は皇帝派、ジュリエットのキャピュレット家は教皇派という設定になっています。
この両家にはモデルがあったようですが、実際に対立していた2家族の子供たちが恋に落ちたかどうかは分かりません。
現在ベローナの町中には、ロミオとジュリエットで最も有名なシーンである「バルコニー」があり、世界中から観光客が訪れています。そして、老いも若きも名台詞「ロミオ、あなたはなぜロミオなの」とつぶやくそうです。羽生選手のファンの皆さんは、しばしバルコニーのすぐ下に「羽生ロミオ」がいることを想像してみてくださいね。
イナバウアーは戒める十字架のよう
演技終盤のイナバウアーは、愚かな人間たちを戒める十字架のようだ 【坂本清】
この映画のロミオはレオナルド・ディカプリオが演じています。物語の骨格や台詞は同じでも時代が現代という画期的な作品でした。羽生選手が醸し出していた雰囲気も、映画のイメージに即するようにややラディカルな色合いを感じました。
ソチ五輪でのプログラムを決める際に、「王道」である古典的な『ロミオとジュリエット』を選んだのは、開催地であるヨーロッパの持つ伝統を意識したものなのかもしれませんね。
演技終盤のイナバウアーは、愚かな人間たちを戒める十字架のようでもあります。ラストまでの流れは、もはやロミオでもジュリエットでもなく、シェイクスピア劇特有の「語り部」を演じているようにも感じられます。皆さんにはどのように映りますでしょうか?
<了>
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