札幌は“日本のビルバオ”になれるのか=J2漫遊記2013 コンサドーレ札幌

宇都宮徹壱

猛暑の厚別で見たヤングパワー

第23節の福岡戦で2ゴールを決めた荒野。彼もまた札幌U−18出身だ 【宇都宮徹壱】

 当てが外れるとは、このことである。7月7日、七夕の日曜日に札幌厚別で行われたJ2第23節、コンサドーレ札幌対アビスパ福岡のデーゲームは、時ならぬ猛暑の中でキックオフを迎えることとなった。今回の取材が決まった当初、「これで東京の暑さからしばし逃避できる」と密かに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したものだった。ところが関東地方に梅雨明けをもたらした高気圧は、そのまま一気に北海道まで到来。地元の人々も「この時期には珍しい暑さ」とこぼしていた。涼しい夏に慣れていた札幌の選手にとっては、いささか不利な気象条件であると言わざるを得ないだろう。

 それでも試合の主導権を握ったのは、ホームの札幌だった。12分、右MFの荒野拓馬からパスを受けた1トップの三上陽輔が、前線で少しタメを作ってから岡本賢明にラストパス。左から走り込んできた岡本は、巧みなステップを交えてから右足を振り抜き、これが待望の先制点となった。38分には、左サイドバック松本怜大からのクロスに荒野が飛び込み、右足ボレーで追加点。さらに45分には、岡本のスルーパスをダイアゴナルな動きから荒野が受け、相手GKの動きを見極めながらループ気味のシュートを決める。前半45分で3ゴール。この時点で勝負は決した。

 試合後、札幌のゴール裏からは久々に「すすきのへ行こう! すすきのへ行こう!」という勝利のチャントが沸き起こった。札幌のサポーターが喜んでいたのは、もちろん3試合ぶりの勝利で連敗を脱出したうれしさもあっただろう。だが、それ以上に特筆すべきは、この日は21歳の三上と18歳の堀米悠斗がそろってスタメン初出場、そして20歳の荒野はプロ4年目にして初ゴールを記録し、それぞれ勝利に貢献したことである。

 あらためてメンバー表を見てみると、札幌の選手は非常に若いことが理解できる。スタメン11名の平均年齢は24歳ちょうど、ベンチも含めた18名だと22.89歳である。もうひとつ特徴的なのが、コンサドーレ札幌U−18の出身者が多いこと。この日のスタメンでは4名(三上、堀米、荒野、奈良竜樹)、ベンチも含めると合計8名にも上る。気が付けば札幌は、かつてのベテラン依存型から育成型へと見事に変ぼうしていた。その件について、ある古参サポーターは極めて印象深い発言をしている。

「今のコンサは、トップに道産子の選手が多いのがうれしいですよね。半分以上が北海道出身でアカデミー出身ですから、『日本のビルバオ』と呼んでもいいんじゃないですか? これなら(北海道日本ハム)ファイターズにも威張れますよ。『北海道を名乗るなら道産子でメンバーを集めてみろ』ってね(笑)」

アカデミー組織はいかにして構築されたのか

今季の札幌はトップチーム34名中、18名がアカデミー出身で占められる 【宇都宮徹壱】

 昨年、4シーズンぶりにJ1に復帰したものの、7試合を残して史上最速でのJ2降格が確定したコンサドーレ札幌。勝ち点14、28敗、88失点、得失点差マイナス63など、昨年の札幌は次々とJ1ワースト記録を塗り替え、悪い意味で目立ってしまった。4シーズンにわたり、チームを指揮してきた石崎信弘監督は辞任。強化費が前年の半分に圧縮されたため、多くの選手たちが契約更新できずに札幌から去っていった。高原寿康、高木純平、山本真希、大島秀夫らが契約満了により退団。元日本代表の中山雅史、元キャプテンの芳賀博信が現役引退。ほかにも、少なからずの主力選手たちが、札幌の今後を案じながらクラブを離れていった。

 クラブがこのような状況に陥れば、サポーターが悲観的になるのは当然のことである。ところが札幌のサポーターの何人かに話を聞くと、彼らはそれほど現状をネガティブにとらえているわけではないようだ。あるサポーターは「累積赤字が30億円まで膨らんで、フロントもサポーターも覚悟を決めた2004年の状況と比べれば、まだましですよ(笑)」と語る。彼らが楽観する理由は、大きく2つ挙げられよう。まず、元札幌の選手で道内での知名度が高い野々村芳和が、今季から新社長に就任したこと。そしてアカデミーから優秀な選手が育ち、次々とトップチームに昇格していること。札幌の現状をレポートする上で、この「新社長」と「アカデミー」は不可欠である。今回は後者、すなわち札幌の育成事情から探ってみることにしたい。

 まずは簡単に、札幌のアカデミー組織の成り立ちを振り返ってみたい。夕張郡栗山町にある「ふじスポーツ広場」を拠点として、U−18とU−15が設立されたのが、今から16年前の1997年4月のこと。2年後の99年には、高1から高3までのメンバーがそろい、シーズン終了後には初のトップチーム昇格選手を送り出した。02年にはU−12が設立され、前年からスタートしたジュニアサッカースクールと合わせて、ここに未就学時から一環した育成システムが確立されることとなる。
                                       
 03年になると、クラブはこれまで以上に育成に力を入れることを発表。アカデミーの本拠地を、栗山町から札幌市東区東雁来に移転させた。この年に社長に就任した佐々木利幸のインタビューを読むと「どんなに貧乏であっても、育てることはしっかりやっていく。ほかの費用はカットしても、育成に関してはむしろ予算を増やしている」と語っている。それから10年の間で、どうなったか。11年には、プリンスリーグ優勝チームによる東西プレミアリーグのプレミア・イーストで、札幌は初代チャンピオンに輝いた。続く12年には、Jリーグユース選手権大会でも初優勝し、同年のJリーグアウォーズでは「最優秀育成クラブ賞」を受賞。この2年でトップに昇格した選手は11名を数え、今ではトップチーム34名(永坂勇人と中原彰吾がタイリーグに期限付き移籍中)のうち、18名がアカデミー出身で占められるようになった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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