信州ダービーが日本のクラシコとなる日=歴史的因縁がもたらす稀有なライバル関係

宇都宮徹壱

連想されるであろう3つのクラシコ

アルウィンのゴール裏を埋め尽くす松本のサポーター。映画「クラシコ」では、彼らのJFL昇格の戦いが描かれている 【宇都宮徹壱】

 いきなり質問。「クラシコ」と聞いて、あなたは何を連想するだろうか? 日本のサッカーファンの場合、おそらく答えは次の3つのうちどれかになるだろう。すなわち、スペインのレアル・マドリーとバルセロナによる「エル・クラシコ」、FC東京と川崎フロンターレによる「多摩川クラシコ」、そして松本山雅FCとAC長野パルセイロによる2009年の北信越リーグでの戦いを描いた映画「クラシコ」。本稿では、この3番目の「クラシコ」について語るのだが、その前に「クラシコの定義」について確認しておきたい。

 オリジナルは1902年から始まったとされる、スペインのエル・クラシコと思われる。スペイン語では「伝統の一戦」。あるいは「ナショナル・ダービー」と同義と見ることも可能だろう。レアルとバルサによるエル・クラシコが突出して有名だが、例えばポルトとベンフィカによるポルトガルの「オ・クラシコ」、パリ・サンジェルマンとオリンピック・マルセイユによるフランスの「ル・クラスィク」、アヤックスとフェイエノールトとPSVによるオランダの「デ・クラシケル」など、ヨーロッパにはさまざまななクラシコのバリエーションが存在する。また南米では、たとえばアルゼンチンのボカ・ジュニアーズ対リーベルプレート、ウルグアイのペニャロール対ナシオナル・モンテビデオ、パラグアイのオリンピア対セロ・ポルテーニョなどは、いずれも「スーペル・クラシコ」と呼ばれている。

 日本にも「ナショナル・ダービー」と称されるカードはいくつか存在した。Jリーグ開幕前後のヴェルディ川崎対横浜マリノス(いずれも当時の名称)、さらには鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田や浦和レッズ対ガンバ大阪などが思い浮かぶ。ただしこれらのカードが、常に日本中のサッカーファンが注目する「伝統の一戦」であったかと問われれば、その答えは否であろう。それは、Jリーグの勢力地図が目まぐるしく変化していることに加えて、「クラシコ」と呼べるだけの伝統をまだ築けていない、歴史の浅さも理由のひとつに挙げられよう。07年からスタートした多摩川クラシコにしても(99年での初対戦からさかのぼり、この時は「第11回」と銘打たれた)、これから伝統を作っていくという願いが込められたネーミングと言える。

なぜ松本と長野で「クラシコ」なのか?

 ここでようやく3番目の「クラシコ」、すなわち松本と長野による因縁の対決について言及するわけだが、実は両者の対戦は、現時点では「クラシコ」ではなく、「信州ダービー」と呼ばれている。「クラシコ」というのは、あくまで映画作品のタイトルであり、松本のサポーターも長野のサポーターも、両者の対戦を「クラシコ」とは言わない。ではなぜ映画には、このような大仰なタイトルが付けられたのであろうか。実は作品の中で1カ所だけ「クラシコ」というフレーズが出てくる場面がある。それは信州大学スポーツ社会学教授の橋本純一氏へのインタビューだ。彼は映画の中で、こう言い切っている。

「日本におけるリアルダービーは、松本と長野だけしかないと言っていい。もしJに両方とも昇格したなら、『クラシコ』と呼べるような試合は長野対松本。要するに伝統的な対立構造が、サッカー以外にもある」

 教授がその理由として指摘しているのが、松本市と長野市の間に横たわる、明治の廃藩置県以来の歴史的因縁関係である。もともと松本市と長野市は、それぞれ筑摩県と長野県の県庁所在地であった。ところが1876年(明治9年)の第2次府県統合により、筑摩県は長野県に吸収され、松本市は県庁の座をも失ってしまう(映画では「長野人が筑摩県庁に放火したため」とされているが、事実かどうかは定かではない)。以来、両者の関係はずっといがみ合った状態が続き、とりわけ冬季五輪を開催して新幹線も通した長野に対する、松本市民の嫉妬と敵愾心(てきがいしん)は相当なものがあったようだ。

 そうした地域間の確執は、当然ながらサッカーの世界にも色濃く影響される。とはいえ、この映画で描かれているのは、J1から数えて4番目の地域リーグ。本来ならば牧歌的な雰囲気の中で行われるアマチュアリーグにおいて、し烈なライバル関係が繰り広げられることに驚いた観客は少なくなかったはずだ。そして映画を見終わって、「クラシコ」という映画のタイトルの意図を、自ずと理解したことだろう。

 確かに松本対長野は、レアル対バルサのような「ナショナル・ダービー」ではない。さりとて、たまたま同じ県をホームとしているだけで、関係者が盛り上げに知恵を絞るような作為的ダービー関係でもない。何しろ130年以上も続く、極めて歴史的かつ稀有(けう)なバックボーンがあるのだ。ゆえに、信州ダービーが「日本におけるリアルダービー」あるいは「日本のクラシコ」となる可能性は、十分にあり得るのではないかと思えてくるのである。

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント