アイスホッケー・内山朋彦が残したもの=鍛錬し続けた“突貫小僧”の引退に寄せて
15年間の経験生かし、引退後はサポート側へ
15年の現役生活では、日本代表としても活躍し、日の丸を背負ってプレーした(写真は07年のもの) 【写真:STA/アフロ】
「トレーナーを目指して、ホッケー界のサポートができたらと思って……頑張りたいです」
170センチの小さな体でのプレーを15年間支えてきたものは、「自己管理」だと内山は言う。
「自己管理という面では、ほんとに15年間ちゃんと自分でもやったつもりですし、長くプレーできたってことは、その成果だなと思います」
「自己管理してきた上で、僕の中でマッサージにすごく興味があったので、それを次の人生に生かせたらなと思って、決めました」
引退セレモニーを行ったアリーナで、01年4月5日、当時コクド所属だった21歳の内山朋彦は、コクドの優勝を決める得点を挙げている。対雪印のプレーオフファイナル第3戦、内山は日本リーグでの2季目のシーズンを迎えていた。初めて味わう優勝に高揚した声で、内山は語っている。
「レギュラーシーズン、(試合で短い時間しか)出られなかったことがあったので。やっぱり、開き直って、ふてらないで練習してきたことが良かったんじゃないですか」
そのシーズン、試合後に長時間バイクを漕いでいる内山に、その理由を聞いていた。「滞氷時間が短くても体力を落とさないため」と答えた、ちょっと照れくさそうな内山の表情が、今も目に浮かぶようだ。
試合中に見せる胸のすくようなスピードと、常に丹念に繰り返していた試合前のストレッチ。日本のアイスホッケー界が揺れ動く中、黙々と鍛錬し続けていた小さな背中の「12」は、もうリンクでは見られない。
<了>