アイスホッケー・内山朋彦が残したもの=鍛錬し続けた“突貫小僧”の引退に寄せて

沢田聡子

19歳の有望ルーキー、シーズンを重ね成長

コクドでデビューして以来、アイスホッケー界を引っ張ってきた内山がついに引退を迎えた。(写真は03年のもの) 【写真:アフロスポーツ】

 内山朋彦を初めて見たのは、1999年9月1日、青森・八戸市新井田インドアリンク(現・テクノルアイスパーク新井田)である。アイスホッケー日本リーグの名門・コクドがシーズン前に行った国際親善試合で唯一得点したのが内山だった。その1年前のシーズンにコクドに入団。1年のカナダ留学を経て、日本リーグデビューを目前に控えた内山は、とにかくスケーティングが速かった。小柄さでも目を引く内山は、「うれしかったです。初ゴールだったので」とコメントしている。

 当時のコクドの選手層は厚く、有望ルーキーとはいえすぐにレギュラーに定着することはなかった。「試合に出たい」と繰り返していた内山はデビュー当時19歳。試合の乱闘で大暴れしたり、ペナルティをたくさん犯したりと、若さを発揮していた。小さな体で果敢にチェックを試みる“突貫小僧”のスピードは、時に自らをも傷つけ、脳振とうやケガで内山のキャリアは度々中断した。

 内山がデビューした99−2000シーズンは、98年長野五輪後の熱気がアイスホッケー界に残っている時期だった。しかし、企業スポーツが行き詰まる中、日本リーグの参加チームも減っていった。コクドと並び名門チームであり続けてきた西武鉄道も、03年春に廃部。03−04シーズンからコクドは西武鉄道と合併、新生コクドとなっている。そして04−05シーズンから、日本のトップリーグはアジアリーグのみとなった。
 
 04−05シーズンの内山は、シーズン途中まで得点王争いに絡み、ようやく結果を残しつつあった。05年2月にはトリノ五輪最終予選に臨む日本代表に選出され、スイス・チューリッヒでの予選で得点を挙げている。25歳となった内山は「シーズンを重ねていくにつれて、ホッケーというものがだんだん分かってきた」と、“突貫小僧”から脱却しつつあった。

新生コクドは06−07シーズンから「SEIBUプリンスラビッツ」と名称変更し、地元密着を目指していたが、08−09シーズン、SEIBUの廃部という衝撃がアイスホッケー界を襲う。アジアリーグのプレーオフに進出したSEIBUは、09年3月23日、対日本製紙クレインズのファイナル第7戦で敗れ、最後のシーズンを終えた。SEIBUのラストゲームで勝つことができなかった内山は、試合後、こみあげるものを抑えられない様子だった。
「正直最後なので勝ちたかったですが、結果として負けちゃったのでしょうがないです。これが今の西武の結果だと思います。廃部の発表あってみんなショックだったと思いますが、みんなそこから一つになって……残念です」

新天地で果たした大役

内山は栃木日光アイスバックスでFWとして新天地で大役を果たした 【沢田聡子】

 29歳になった内山が新たな所属先として選んだのは、日本唯一のクラブチーム・栃木日光アイスバックスだった。名門・古河電工の流れを汲み、アジア有数のホッケータウン・日光で愛されるバックスで、内山は中心となるFWとして大きな役割を担うことになる。

 資金不足など、環境面でのさまざまな問題を抱えて常にリーグの下位に甘んじていたバックスは、11−12シーズン、ついにプレーオフファイナルまで駒を進めた。1勝2敗と後がない状況で迎えた第4戦で王子イーグルスに先行を許し、3点差を追うバックスは、地元・日光霧降アイスアリーナの大声援の中でしか起こり得ない反撃を開始する。第3ピリオド8分31秒に1点目、9分1秒に2点目のゴールが決まり、迎えた15分38秒、内山は西武時代からのチームメートである主将・鈴木貴人の同点ゴールをアシスト。延長までもつれたこの試合、結局バックスは敗れ、準優勝で終わるが、日本アイスホッケー史上屈指の名場面と言えるバックスの猛攻、そのクライマックスとなった鈴木の得点は、西武廃部の苦しみをともに乗り越えてきた内山のアシストから生まれている。

「プレーオフ、(バックスに入ってから)2シーズン出ていないですが、やっぱりすごい雰囲気も良いですし、ファイナルで相手の優勝も見て……ほんと、まだやめられないなと思います」と内山は、引き際を考え始めていた。興奮冷めやらぬ霧降で漏らしたコメントは、そのことを物語っていた。

 12−13シーズン、バックスは前半ケガやペナルティによる選手の不在に悩まされ、プレーオフ進出を果たせなかった。バックスのシーズン最後の試合となるレギュラーリーグ最後の東京シリーズを前に、内山の引退を告げるリリースがバックスから流された。
 13年3月3日、ダイドードリンコアイスアリーナ。内山の現役最後の試合となった対王子戦、バックスは2−5で敗れた。試合後、引退セレモニーでマイクを握った内山は、少し声を詰まらせた。

「15年間プレーさせていただきましたけど、悔いはありません。仲間、ファンの皆様の前でプレーできないことに、悔いが残るだけです」

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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