男子マラソン、内定ゼロでも悲嘆無用の理由=世界陸上国内選考で見せた“攻めの走り”

中尾義理

びわ湖毎日マラソン、日本人トップの4位でゴールする藤原正和 【写真は共同】

 陸上の世界選手権(モスクワ・8月)男子マラソン日本代表を巡る選考会が大詰めを迎えた。男子の国内最終選考レースのびわ湖毎日マラソンは、一般参加の藤原正和(Honda)が2時間8分51秒で日本人トップの4位。派遣設定タイムの2時間7分59秒以内はクリアできなかったが、代表有力候補に名を連ねた。2012年ロンドン五輪代表の山本亮(佐川急便)は2時間9分6秒で5位。2時間9分10秒で初サブテン(2時間10分切り)を達成した石川末廣(Honda)が6位に続いた。優勝は11年世界選手権(テグ)銀メダルのビンセント・キプルト(ケニア)で2時間8分34秒だった。

我慢の10年 藤原正和の復活劇

 レースはペースメーカーが寒さと風にてこずり、5キロごと15分00秒の設定が遅れ、20キロを1時間00分39秒で通過。後半の奮起次第では2時間7分台の可能性も残していたが、先頭集団の25キロから30キロが15分45秒かかり、記録が望めない展開になってしまった。
 焦点は勝負に移った。34キロ地点で、日本勢4人、海外勢3人に絞られた先頭集団から藤原が前へ。集団は崩れなかったが、「年齢的にこれが世界へのラストチャンス。今回ダメなら、マラソンに区切りをつけることになるかもしれない」という覚悟が、31歳の藤原を動かした。37キロすぎからキプルトらにじりじりと離されても、日本人トップは譲らなかった。

 03年、中大4年生だった藤原は、びわ湖で初マラソンに挑み、いまだ日本学生記録として残る2時間8分12秒をマークした。同年の世界選手権(パリ)代表に選ばれたが、故障で現地入り後に出場を断念。その後も故障が重なり、マラソンから遠ざかった期間も長かった。
 10年の東京マラソンで優勝を飾ったが、2時間10分を切れないまま10年が経過しようとしていた。復活の兆しが見えたのは昨年9月のベルリン。2時間11分31秒でケニア勢以外最上位の10位に入った。1月に貧血症状が出たが、「妻の料理でリカバリーできました」と藤原。桃色のシューズには愛娘の名前の刺繍。世界選手権への原動力を家族が足元から支えた。

 10年ぶりに覚醒した藤原は、「日本人トップを狙っているようでは世界と戦えない。1人でも前の外国人を抜こうという気持ちでした。8分台は最低限。選考のテーブルに乗ることはできたと思います」。高い意識に支えられ、再び世界へのチャンスをつかもうとしている。

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著者プロフィール

愛媛県出身。地方紙記者を4年務めた後、フリー記者。中学から大学まで競技した陸上競技をはじめスポーツ、アウトドア、旅紀行をテーマに取材・執筆する。

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