イチローとハンター 名手を襲ったのは?

木本大志

歓喜のマリナーズ、その陰で……

サヨナラ勝利に喜ぶイチローらマリナーズメンバー。その陰で、ゆっくりとグラウンドを引き上げる名手がいた…… 【写真は共同】

 9回2死、三塁。サヨナラのチャンスで、マリナーズのカルロス・ペゲロがセンターに打ち上げると、誰もが「延長か……」と思った。

 ところが、打球を追うエンゼルスのセンター、トーリ・ハンターの動きがおかしい。しきりにグラブで太陽を隠そうとしているが、やたら落ち着きがない。やがて差し出したグローブをかすめるようにして、打球が落ちた。「打球が上がるまでは見えた」が、「それからは、全く見えなかった」のだそうである。

「(ボールが見えなくなる)可能性はあると思いました」とはイチロー。「ソーンダースのプレーを見て」と話したが、確かにその少し前から、この日マリナーズのセンターを守っていたマイケル・ソーンダースの動きも怪しかった。

 フライが上がるたびに、まるでダンスをしているようなステップ。平凡なフライが、イチローの言葉を借りるなら、「恐怖」になっていた。

 三塁からカストがゆっくりと生還し、マリナーズはサヨナラ勝ち。選手らがいたるところで祝福を交わしているのとは対照的に、ハンターは一人、ゆっくりと歩いて、ダグアウトへ向かった。

水を得た魚のようだったハンター

「今日は、久々にセンターだからな」

 試合前のこと。彼はうれしそうに話していた。

 前日、彼のグローブの写真を撮らせてもらい、後で確認すると背面のちょうど人差し指付近に、“Spidey”と刺繍(ししゅう)されていた。それは、スパイダーマンのニックネームのことでいいのか? それを確認するために彼に声を掛けると、「その通りだ」と答えたが、「最近は、もうそうでもないけど」と自虐的な笑みを返している。

 2001年から9年連続でゴールドグラブを受賞。あらゆる打球をつかみ取り、よってスパイダーマンともあだ名されたが、昨年に入ると年齢による衰えがささやかれるようになり、昨年8月のライトへのコンバートは、チームが遅かれ早かれピーター・ボーシャスを起用したい考えであることを悟り、半ば自ら申し出たものだった。

 そのライトはただ、「退屈で仕方がない」のが、彼にとって「計算違いだった」という。

「この間のレンジャーズ3連戦(米国時間、5月13〜15日)なんて、1回しかフライが飛んでこなかったんだぜ(笑)」

 続けて、「だから最近は、気付かれないように少しセンター寄りに守ってるんだ。右中間のボールは捕っちゃおうかと思って」と笑ったが、それはなぜか冗談に聞こえなかった。

 センターでの先発出場は、昨年8月3日にコンバートされてから初めて。
 それはもう、この日のハンターは、試合直後から水を得た魚のようで、広いセンターを縦横無尽に走り回る。打球から目を切り、クルリと1回転をしてから後方の打球を追う姿も優雅。7回にはペゲロのセンターオーバーの打球をフェンスに激突しながらも好捕。彼らしい守備を久々に見た気がした。

 ところが9回……。

 イチローは試合後、「最終的に僕らは勝ってハッピーだけど、そうじゃない気持ちはある」と、ハンターを思いやったが、その複雑なコメントの裏には、もちろん、互いを認め合う関係以上のものが潜んでいた。

イチローも味わった悪夢

 5月1日、ボストン。

 イチローは9回裏1死、やはりライトに飛んできた打球を太陽で見失い、三塁打にしてしまった。それが結果としてサヨナラ負けに繋がったのである。この日のハンターの痛み。同じレベルで共有できるとしたら、イチローしか考えられまい。

 多くのメディアがエンゼルスのクラブハウスを後にしたあと、ハンターにあの日のイチローのプレーを覚えているかと聞けば、「何度もテレビで見た」とうなずいた。
「あの日の夜、僕たちはボストンに入ったんだ。テレビをつけたら、ボストンの地元テレビ局が何度も流していたよ」

 まさか過去10年、メジャーで一、二を争ってきた外野手が、同じような経験をするとは……。
 そんなことを言いかければ彼は、「ゴールドグラブを10度取った選手にだって、見えないものは捕れないんだよ」と話し、「ボストンのデーゲームは悪夢だ」と首を振る。それは暗に、イチローを思いやるような言葉だった。

 ところであの時間帯、ライトの状況はどうだったのかと聞かれてイチローは、「あと30分前後かなあ」と話した。
 試合終了は、午後2時50分ちょうど。この日の試合時間はわずか2時間11分で、通常の展開であれば、勝負どころの時間帯でライトが一番厳しい状況に置かれていたかも知れず、「いやあ、恐ろしい」。イチローの言葉には、安堵(あんど)感もにじんでいた。

<了>
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