ド軍トーリ監督、最後の“こだわり”=MLB

山脇明子

名監督が今季限りで退任

 ドジャースの今季最終戦の前、今季限りで監督から退くジョー・トーリ監督はこう言った。
 「今日はスタメンをコンピュータに打ち出すのではなく、手書きにした。監督として初めてスタメンを書いた時にそうしたようにね」

 トーリが監督を始めたのは1977年。メッツで選手兼監督として始めたのがきっかけで、以来4度世界一(すべてヤンキース監督時代)に輝いた。監督として積み上げたポストシーズン通算84勝は、米大リーグの歴代1位でもある。
 現役時代、名選手としてブレーブス、カージナルス、メッツで18年間プレーし、今年が監督として29年目だった。同日を最後に引退したドジャースのブラッド・オースマスが「彼は話上手で選手から上層部、細かなスタッフまでとてもいいコミュニケーションを取っている」と言うように、人との付き合いを非常に大切にする人物で、それが彼を長年名監督として存在させている理由の一つだ。
 メディアに対してもそれぞれの質問に非常に丁寧に答える。時には失礼な質問さえあるが、彼は機嫌を悪くする様子も見せず、冗談を交えて返したりする。

“最初と最後を同じに”

 その名監督が、やけにこだわっていることがある。それは“最初と最後を同じにしたい”ということだ。
 トーリは2007年にヤンキースの監督を退任した。「当時はあれで監督生活に終止符を打つつもりだった」というトーリだが、数カ月後にはドジャースの監督として紹介されていた。「ドジャースは歴史のある名門チーム。それに私が監督をはじめたのもナショナルリーグだった」とナ・リーグで始めてアメリカンリーグで終わるよりも、ナ・リーグで終えることに興味をそそられたようだった。
 
 名監督のこだわりは、他人のキャリアにも影響を及ぼした。
 トーリがカージナルスの監督をしていた92年のことだ。その試合は、ハロルド・ハーベイ元審判員の現役として最後の試合だった。62年から92年までナ・リーグの審判を務め、今年野球殿堂入りを果たしたハーベイ氏が、審判として初めて退場処分を下したのが、選手時代のトーリ。それを伝え聞いていたトーリは、ハーベイ氏の引退試合の終盤、突然トコトコと彼に歩み寄り、いきなり罵声(ばせい)を浴びせた。驚く同審判にトーリは小さな声で言った。
「今だ! おれを退場にするんだ!」
 するとハーベイ氏はニコリと笑ってトーリを退場にした。当時を振り返り、トーリは「幸運にも、あの試合はあの時点で大差がついていて、すでに終わっている試合だった」と苦笑した。
 だが、この見事なパフォーマンスにより、ハーベイ氏にとってトーリは最初に、そして最後に退場とした人物となった。

 トーリは今回の退任について、「監督としてはこれで引退」と明言した(ワールドベースボールクラシックの監督には興味があると言っていた)。そして、最後の試合を前に「何を望むか?」と聞かれて「勝ちたい。監督として最初の試合で勝ったから、最後の試合も勝ちで終わらせたい」と言った。「最後に勝って、チームの次につなげたい」ではなく、「最初に勝ったから、最後も」と言うところがおかしかった。そしてドジャースの選手たちは、今季最終戦で勝利を収め、見事トーリに“最後の勝利”をプレゼントした。

 試合後、トーリは言った。

「何がうれしいって、勝てたことだ」

 その前にグラウンドで行われた送別セレモニーで少し鼻が赤くなっていたが、満面の笑顔だった。

<了>
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著者プロフィール

ロサンゼルス在住。同志社女子大学在学中、同志社大学野球部マネージャー、関西学生野球連盟委員を務める。卒業後フリーアナウンサーとしてABCラジオの「甲子園ハイライト」キャスター、テレビ大阪でサッカー天皇杯のレポーター、奈良ケーブルテレビでバスケットの中体連と高体連の実況などを勤め、1995年に渡米。現在は通信社の通信員としてMLB、NBAを中心に取材をしている。ロサンゼルスで日本語講師、マナー講師、アナウンサー養成講師も務めている。

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