岡見勇信、UFC王者に最も近い日本人の足跡をたどる
宇野(薫)さんは自分にとって、とても尊敬できる人
練習や試合への姿勢、私生活など岡見は宇野を尊敬する 【田栗かおる】
サンダー(雷)のようなパウンドを打つからということでつけられました。
――この前の試合(UFN 21でのルシオ・リニャレス戦)の前に、岡見選手は前回の対戦相手であるチェール・ソネン選手とともにトレーニングを積むために米国のチーム・クエストを訪れていますね。異なる文化の中で、ひと月もの間どのように暮らしていたのでしょうか?
チームクエストの皆はとても良い人たちで、すごく良い経験をさせていただきました。途中から柔術コーチのサラミさんの家にホームステイをさせていただき楽しい1カ月でしたね。
――以前対戦したことのある選手と共にトレーニングを積むことを奇妙に感じたりはしませんでした?
特に違和感はなかったです。チェールやマットさんには快く受け入れていただきとても感謝しています。
――UFCバイオグラフィーでは宇野薫選手が岡見選手のヒーローだとありますが、宇野選手は岡見選手の生活にどのような影響を与えているのか教えてください
宇野さんは自分にとって、とても尊敬できる人で練習姿勢や試合に対しての姿勢、私生活などすごく影響を受けています。
日本での知名度は…ぼちぼちです(笑)
五味(中央)や宇野(左)と比べると「日本での知名度は…ぼちぼちですね(笑)」 【スポーツナビ】
特に難しくはなかったです。金網に関しては海外や日本でもたくさん経験していましたし、UFCで勝つ方法も自分の勝ち方にあっていました。
――UFCで違和感を感じることなく試合が出来るようになったのはいつからでしょう? 「ベルトが狙える」とはっきり意識した瞬間はあったのでしょうか?
違和感なく戦えるようになったのは3戦目のローリ・シンガー戦ですね。
まだベルトを狙えるという確信は持っていないです。もっと上の強い選手にしっかりと勝つことができた時に確信できるんじゃないかと思います。。
――岡見選手にとってもっともタフな試合はどの試合でしたか?
4戦目のマイク・スウィック戦ですね。完全にアウェイというのもあり、本当にタフな試合でした。
――岡見選手の最近の日本での知名度をどのように感じていますか? 米国で試合をする時に感じる知名度と比べてどうでしょうか?
日本の知名度は…ぼちぼちです(笑)。米国のファンの方々はたくさん声をかけてくれるんですけどね。
ひとつひとつの敗戦から多くのことを学んでいます
敗戦は、自分がこれからやらなければいけないことを示す道しるべと岡見はとらえる 【ZUFFA】
難しい部分はやはりお金のやりくりですかね(ファイトマネーですべての生活をすること)。マンネリしている時は新しい事にチャレンジしたり、新しい環境で練習したりしています。物事を新鮮に保つ方法は向上心を持っていれば大丈夫だと思います。
――岡見選手は世界でも一握りのベストな選手にしか敗北を許していませんが、それらの敗北から学んだことは何でしょうか?
ひとつひとつの敗戦から多くのことを学んでいます。敗戦は自分の足りない所や、これからやらなければいけないことの道しるべだと思っています。
――岡見選手のデビュー戦は2002年の7月、松田英久戦です。その試合のことは覚えていますか? 試合のゴングが鳴る直前はどんな気持ちでした?
すごく緊張していたことしか覚えていないです。ゴングが鳴る直前は無だったと思います。
――格闘技のトレーニングを始めたのはいつでしょう? また、そのきっかけを教えてください
19歳の時ですね。最初のきっかけはプロレスラーになりたかったので、そのために始めました。
――初めて総合格闘技を見たのはいつでしょうか? このスポーツを見たときの印象は?
テレビは修斗だと思います。観戦はパンクラスです。印象は…かっこよかったですね。すごく興奮しました。
学生時代はプロレスラーになりたかった
学生時代の夢は「プロレスラーになることだった」と語ったが、総合格闘家の道へ 【スポーツナビ】
思いませんでした。プロレスラーになりたかったので。
――学生時代からプロ・スポーツ選手になることを考えていました?
中学では陸上部で高校は柔道部でした。ただ、いつかはプロレスラーになろうと思っていました。
――プロ・ファイターになると伝えた時のご家族の反応はどうでした?
最初は、少し驚いてましたが、応援してくれましたね。
――現在、岡見選手のご家族は協力的でしょうか?
はい。すごく応援してくれています。
――岡見選手は神奈川で育ったんですよね
神奈川は最高です。子どものころは外でよく遊んでいましたね。