K−1煽り映像への情熱を語る(2)――佐々木敦規氏 「アンディ・フグが亡くなる直前、僕は悲しい仕事をしていました」

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佐々木氏への直撃インタビュー第2弾! 【(C)FEG Inc.】

 K−1の煽り映像の巨匠として注目を集めている、佐々木敦規氏。彼のロングインタビューを3回に分けてお送りしているが、今回はその第2弾。K−1ファイターとの出会いで、人生に大きな影響を受けたことや、映像の方向性が見えてきたエピソードを明かしてくれた。

ハンセン、ブッチャーを作りたい

――前回はベルナルド選手を題材にして、社会性のある取材ができたお話をお聞きしましたが、他にもたくさんあるでしょうね

 あとは、ジェロム・レ・バンナですね。96年の秋、ホーストを倒したあとくらいに、彼を取材するためにフランスへ行ったんですよ。それまで、スイスでアンディ・フグ、オランダでアーツやホーストといったファイターを取材してきましたから、すごく驚きましたね。

――何に対してですか!?

 彼は、大きな体育館で、寂しく吊るしてあるサンドバッグに向かって、一人で黙々と練習していたんですよ。えっ!? こんなのあるのって。それは衝撃でした。オランダなんて、優秀なトレーナーたちが集まって、合理的な練習をしているわけです。取材を進めていく中で、“俺はつるむのは好きじゃない。俺は人間を信じない。俺が信じるのは犬だけだ”と語り始めました。そこで、一本筋が通ったんです。一匹狼的な生き方は、日本でも受けますからね。一般のテレビを作っている人間からすると、こんなに面白い人間はいないなと思いましたね。

――番長キャラは、この頃から出来上がっていったのですね

 決定的なのは、“千年に一度のKO劇”と呼ばれた、2000年のフランシスコ・フィリォ戦ですね。フィリォが失速していったことを観て、バンナは、“オレのせいだ。オレの腕は相手の心まで折っちまう。オレの腕は、雷(いかずち)だ”と発言して、メディアで流れるようになっていき、あのキャラクターが確立されていきました。あまりにも面白いものですから、『SRS』で初めて、バンナだけの特集を組んだんです。30分の枠があるので、普通は、そこまでの特集はしないんですよね。でも、深夜なのに視聴率が5.2%を叩き出して。ほぼ、1、2位くらいの高視聴率を出したんですよね。これは、磨けば、世間に届くんだなと自信を深めていきました。僕らは、プロレスでいえば、子供の頃に憧れた、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャーのような存在を、いかに作り上げるかという使命がありますからね。

ベルナルドのビデオを作ってKO負け

これがかの有名な“千年に一度のKO劇”、バンナvsフィリオ戦 【(C)FEG Inc.】

――でも、強引に作り上げようとすると失敗もしますよね

 サム・グレコですね(苦笑)。期待をしたし、空手をやってきたバックボーンもある。肉体も素晴らしいし、スピリットもありました。ただ、ケガが多かったですね。すごくプッシュしてブームアップするんですよ。煽りとしては。決して折れないハートを持った選手みたいに煽っていたら、ローキック一発で倒れるみたいな(笑)。そういうのはありましたね。ベルナルドも、96年にアンディ・フグと決勝を争って、これは97年こそ優勝するかもしれないという機運が高まってきて。97年には優勝するんじゃないかと予想していたんです。

――優勝したフグ選手のライバルとして、人気もありましたからね

 96年のWGPの会場販売へ向けて、『THIS IS マイク・ベルナルド』という2時間もののビデオを制作することになったんです。南アフリカまで取材に行って、ようやく編集して東京ドームで売ろうと思っていたんですね。そうしたらアーツに1R早々にKO負け。なんだこれ、みたいな(笑)。

――リアルファイトの怖さですね。亡くなられた、アンディ・フグさんともかかわりが深かったのではないですか?

 スイスの自宅まで行きましたし、個人的にも親しくさせていただきました。

――フグ選手が亡くなったときは、どうされていたのでしょうか?

 これは、本当に悲しい話なんですけど、この時、僕は編集室にいました……。

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