ユベントス、緩んだ組織ゆえの迷走=盟主復権への厳しい道のり

宮崎隆司

2位を確保したものの内部は混乱

内部混乱に陥ったユベントス。デルピエロ(左)とラニエリ前監督の間にも不和が生じた 【Getty Images】

 綱紀の緩み――。要約すれば、これが昨季のユベントスを象徴する言葉となる。とりわけ監督(クラウディオ・ラニエリ)の権威失墜による終盤のゴタゴタ、それと前後する大物選手たちのサボタージュ、および反乱……。これらを生んだ緩みこそが、最終的にはシーズン2位を確保できたとはいえ、かつてのユベントスではあり得なかった事実として特筆されるべきではないか。そして、この2位確保も、あえて言えばライバル(ミランとローマ)の事実上の自滅によるところが大きい。仮に上記2クラブが本来の力を発揮していれば、むしろ第二勢力(フィオレンティーナとジェノア)の猛追に屈していた可能性すらある。それほどまでに、特に終盤戦のユベントス内部は混乱していた。

 例えば第36節のレッチェ戦、2位確保のために是が非でも勝たねばならない一戦。前半を0−1でリードされて終えると、ラニエリはその日まったく精彩を欠いていたカモラネージの交代を決断する。だが、これにカモラネージが激しく反発し、怒号が飛び交い、ロッカールーム内は文字通りカオスと化してしまっていた。こうした状況――ラニエリ派と反ラニエリ派との構図の中――でも一貫して監督支持の姿勢を貫いてきたGKブッフォンは、たまりかねてロッカールームを飛び出し、1人自分の職場であるゴール前に戻ると、誰にはばかることなく苦悩の表情をあらわにしていた。

“外様”監督と選手の間に生じた亀裂

 では、なぜユベントスはこのような事態に陥ってしまったのか。クラブ周辺で最も多い見方は「ラニエリがいわゆる“外様”であるため」というものだ。選手時代も含めユベントスに何らかかわりを持っていない人物、それがラニエリであり、監督就任当初からデルピエロをはじめとする主力組の反感を買っていたというのだ。
 加えて、同監督の就任は、クラブ史上初のセリエB落ちという苦難を経た後のことである。つまり、ラニエリはいわゆる“いいとこ取り”で名門ユベントスの監督の座に就いたに過ぎず、選手の監督に対するリスペクトが欠けていたことは明白だ。これがここ2年、慢性的にユベントス内部に漂っていた。そして、ついには昨季の終盤、緊迫した戦いの中でくすぶっていた不満分子に火がついてしまった。

 その伏線は何度も見られた。第20節のフィオレンティーナ戦、1−0でリードして迎えた77分のこと。交代を命じられたデルピエロは監督への不満を隠そうともせず、ベンチコートを投げ捨ててピッチを後にした。また、第28節のボローニャ戦では、後半開始直後、左サイドバックのモリナーロに対し、主将のデルピエロが「(ポジションを上げずにオーソドックスな4−4−2の堅持を求めていた)監督の言うことは聞くな。おれの指示に従え」と命を下し、モリナーロのポジションを大幅に前へ上げている。

 言うまでもなく、これは紛れもない一選手による“さい配”である。その結果、ユベントスはボローニャに逆転勝利を収めるも、チームの結束という意味では亀裂を拡大させることになった。主将がこうした態度に出ることで、同様にトレゼゲやカモラネージ、ネドベドらの重鎮たちも起用法をめぐって再三にわたり監督批判を行っている(たがが緩んだ組織の中では決して珍しくない現象、むしろ当然と言えば当然の流れなのだろうが……)。そして、メディアはまず中心選手のコメントを大々的に報じ、続いて、それに反論する監督という構図で報道を展開させていく。ラニエリが追い詰められるための流れは常に周囲に張り巡らされていたと言えるだろう。

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著者プロフィール

1969年熊本県生まれ。98年よりフィレンツェ在住。イタリア国立ジャーナリスト協会会員。2004年の引退までロベルト・バッジョ出場全試合を取材し、現在、新たな“至宝”を探す旅を継続中。『Number』『Sportiva』『週刊サッカーマガジン』などに執筆。近著に『世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス〜イタリア人監督5人が日本代表の7試合を徹底分析〜』(コスミック出版)

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