シュバインシュタイガー「もちろんドイツが本命」=2010年W杯欧州予選

小林幸帆

ロシア戦でゴールを決めたバラック(左)を祝福するシュバインシュタイガー 【Getty Images】

 勝負強いけれど、どこか地味な選手が多いドイツ代表。そんな中にあって、珍しく華のある存在が、バイエルン所属のバスティアン・シュバインシュタイガーである。正確なキック、鋭いドリブル突破からの強烈なシュートを武器とする攻撃的MFは、弱冠19歳でユーロ(欧州選手権)2004のメンバーに大抜てき。そこから始まった代表でのキャリアもすでに5年目を迎えた。

 準優勝を果たした今夏のユーロ2008でも活躍を見せ、常に日の当たる場所を歩いているように見えるシュバインシュタイガーだが、大会当初はレギュラー落ち、そしてグループリーグ第2戦のクロアチア戦では退場処分になるなど苦い思いも味わった。だが、そこからはい上がって絶対的なレギュラーの座を取り戻し、8月に行われたベルギーとの親善試合ではキャプテンマークを巻くなど、代表チームの次世代を担う旗頭として着実に歩んでいる。

 2010年ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会に向けて新たなスタートを切ったドイツは、ロシア、フィンランド、ウェールズなどと同じグループ4において、3試合を終えて2勝1分けの首位に立っている。11日には、グループ最大のライバルと見られるロシアにホームで2−1と勝利。15日にはウェールズ戦を控える。代表合宿中のシュバインシュタイガーに、ドイツ代表について話を聞いた。(取材日は10月9日)

ユーロ決勝の僕らは勝利に値しなかった

――準優勝したユーロ2008で、あなたはドイツ代表における最大の勝ち組となりました。でも大会当初にそう思っていた人は多くありませんでしたね。初戦と第2戦はベンチスタートでしたし、第2戦では退場処分になりました

 僕は大会前の合宿でけがをしていたし、親善試合でもいいプレーができなかった。ほかの選手がより良いプレーをしていたことで、監督は彼らを起用することにしたわけだ。もちろんそれには失望したし、怒りも感じた。だけど、(初戦の)ポーランド戦では途中出場から2−0となるアシストをしたし、僕はベンチに座っていようとピッチに立っていようと、チームにとって最善の結果が出るように全力を尽くしていたんだ。

(第2戦の)クロアチア戦もいいプレーはしていた。でも、試合終了が近くなったところで(1−2で負けていることに)怒りがこみ上げてきて、残念ながらそれを抑えることができず、レッドカードをもらうことになってしまったんだ。その次のオーストリア戦で、スタンドから試合を追うというのは簡単なことではなかったね。もしあの試合で負けていたら、僕らは敗者としてドイツに戻らなければならなかった。だから、オーストリア戦が僕にとっては決定的な一戦だったと言える。あそこで勝てたからこそ、さらに試合をすることができたのだから。審判が終了の笛を吹いた時は本当にうれしくて、次の日にでもポルトガルと試合をしたいくらいだったよ。

――出場停止が明けた準々決勝のポルトガル戦で、なぜレーブ監督はそれまでのフリッツではなく、あなたを先発させたのでしょうか?

 監督とは大会が始まる前に話をしていて、僕を計算に入れていること、そして僕の力も分かってはいるけれど、弾みをつけることが必要だと言われたんだ。当時はけがもあって、僕の状態は100%ではなかったからね。僕は自分の力を知っているし、監督もそれは分かってくれていた。
 ポルトガル戦での先発は明らなことでもあった。それまでの2試合(ポーランド戦とクロアチア戦)でも、いいプレーができていたからね。出場停止さえなかったら、オーストリア戦でも先発していたと思っている。ポルトガル戦に起用してもらって、そして勝つことができて良かった。ポルトガルはヨーロッパのベストチームに数えられるからね。

――決勝でスペインに敗れ、試合後ドイツのテレビ局のインタビューに応じていた時、その後ろでスペインの選手たちは歌い踊って喜んでいました。その時、何を思いましたか?

 一瞬、おいおい、いったい彼らは何をやっているんだ? ここはミックスゾーン(取材エリア)なのにって思ったね。けれど、欧州チャンピオンになったら、どこでもお祭り騒ぎになるものだよ。だから彼らの行動は理解できた。もちろん僕らは負けて落胆していたし、勝てなかったことが悲しかった。けれど、あの日の僕らは勝利に値しなかったと思う。もし決勝で僕らが本来の力を出せていれば、スペインを倒すことができたかもしれないと思うと、余計に悔しいけどね。

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著者プロフィール

1975年生まれ。東京都出身。京都大学総合人間学部卒。在学中に留学先のドイツでハイティーン女子から火がついた「スキージャンプブーム」に遭遇。そこに乗っかり、現地観戦の楽しみとドイツ語を覚える。1年半の会社員生活を経て2004 年に再渡独し、まずはサッカーのちにジャンプの取材を始める。2010年に帰国後は、スキーの取材を続けながら通訳翻訳者として修業中。

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