松井秀喜の姿と重なるポール・モリター=MLB名人物ファイル
孤軍奮闘を続ける「DH・松井秀喜」
今季は主にDHで出場し、活躍を続けている松井秀 【 (C)Getty Images/AFLO】
そんなチームにあって、春季キャンプの段階ではレギュラー確保さえ危ういといわれていた松井秀喜の活躍は、ファンにとっても唯一の救いだろう。5月18日のメッツ戦でも2ランを放つなど、41試合で打率3割4厘、6本塁打、20打点、チームトップの出塁率3割8分3厘と長打率4割7分3厘をマークしている。A・ロッドの欠場後務めている4番のスポットでも打率3割1分6厘、2本塁打、7打点。出場ポジション別では、指名打者(DH)で打率3割1分9厘、4本塁打、15打点。外野では2割9分1厘、2本塁打、5打点と、古傷であるひざの故障を気にせずにすむDHのメリットを十分に生かしている格好だ。ただし、今季はセンターから左方向への打球も目立つ松井は、DH中心の選手としては決してホームランが多いとはいえない印象もある。
アメリカンリーグが投高打低現象の解消と観客動員増を目的に、DH制度を採用したのは1973年のことで、ことしはちょうど35周年にあたる。同年4月6日、記念すべきDH第1号として打席に立ったのは、松井にとってチームの先輩でもあるロン・ブルームバーグ(ヤンキース)で、初打席の結果は四球だった。
ア・リーグの目論見どおり、前年リーグ全体で1割4分6厘だった投手の打率は、全指名打者の打率2割5分7厘と劇的に向上した。以後35年の間、メジャーにおけるDHといえば、現在史上最強DHの座を争うデービッド・オルティーズ(レッドソックス)、トラビス・ハフナー(インディアンス)など、一発長打の魅力を秘めた長距離砲のイメージが強く、松井はむしろ「異色」ともいえる。ただし、DHの歴史においては、現在の松井とオーバーラップする活躍を見せた選手も存在した。ブルワーズ、ブルージェイズ、ツインズで活躍し、通算3319安打(史上8位)、打率3割6厘の堂々たる実績を残したポール・モリターである。
打線の火付け役として活躍したモリター
故障防止のためDHでの出場機会が増えた87年、モリターはリーグ2位の打率3割5分3厘、41二塁打、114得点(ともにリーグ1位)と見事な復活を遂げ、8月には39試合連続安打を達成している。連続試合安打が途切れたときも、9回裏に次打者席で最後の打席が回るのを待っていたが、彼の前を打っていたリック・マニングがサヨナラヒットを放って試合終了となってしまい記録が途切れた。マニングは殊勲打を放ちながら地元ファンの大ブーイングを浴びる羽目となった。
82年のシリーズ第1戦で史上唯一の1試合5安打を放ち、ブルージェイズ時代の93年にはシリーズMVPを獲得するなど、2度出場したワールドシリーズでは通算55打数23安打。大舞台にも強かったモリターだが、年間最多本塁打は93年の22本で、これが唯一の20本台以上だった。“The Ignitor”(点火装置)のニックネームが示すように、強力打線の火付け役となるリードオフマンや三番打者としての役割が多く、DHとしてはまさに異色のタイプであった。故郷ミネソタに本拠地を置くツインズに移籍した96年には、9本塁打ながら、22本塁打を放った93年の111を上回る自己最多の113打点を記録している。
A・ロッド復帰後の松井に期待すること
ブルワーズとブルージェイズの強力打線にあって、文字通り「点」を「線」につなげる導火線の役割を果たしてきたモリター。A・ロッドやポサダがラインナップに戻った後のヤンキース打線において、松井がモリターとは違ったスタイルでの“The Ignitor”の役割を果たせば、チームは再び熾烈(しれつ)な地区優勝争いに復帰することがかなうはずだ。
<了>
※次回は6月3日に掲載予定です。
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