“敗戦国”クロアチアの現在 クロアチア代表対エストニア代表

宇都宮徹壱

すっかり様変わりしたザグレブの街にて

現在、ユーロ2008予選のグループE首位をキープするクロアチア代表。果たして、躍進の源は? 【(C)宇都宮徹壱】

 クラーゲンフルトから、列車で30分ほど移動したところにあるビラハ。避暑地として知られるこの街は、実はバルカンへの入り口としても有名である。ちょうどプラットホームには、ミュンヘン発ベオグラード行きの列車「サバ」が到着していた。サバとは、旧ユーゴスラビアを流れてベオグラードでドナウ川に合流するサバ川のことだ。この列車は、ビラハを発つと、リュブリャナ(スロベニア)、ザグレブ(クロアチア)、そしてベオグラード(セルビア)まで至る。旧ユーゴ諸国の3首都を、それこそサバ川の流れのように鉄道でめぐることは、私がかの地を初めて訪れた10年前には考えられなかったことだ。あらためて、時の流れの重みを実感する。

 ビラハから4時間半ほど列車に揺られて、ザグレブに到着。駅では、現地在住のジャーナリスト、長束恭行さんが迎えてくれた。長束さんは、クロアチア・サッカーのウォッチャーとしてもつとに有名で、去年のワールドカップ(W杯)では、グループリーグ第2戦の対戦相手であるクロアチアの最新情報をお茶の間に届けるという重要なミッションを見事遂行していた。この人の現地情報にお世話になった同業者は、かなりいたはずだ。

「つい最近、JTBがクロアチアへJALチャーター便によるツアーを企画したので、今ではザグレブも日本人観光客が多くなりましたね。欧州でも、日本からの観光客が飛び抜けて増えたのがクロアチアです。街の雰囲気もすっかり変わりました。ドゥブロブニク(アドリア海沿岸の観光地)あたりでは、信じられないくらい物価も上がっています」

 地元ビール「オジュイスコ」のグラスを傾けながら、長束さんは語る。そういえば駅前の土産物屋では、うれしそうにネクタイを買っている日本人の姿を見かけた(クロアチアはネクタイ発祥の地と言われている)。まだ内戦の硝煙香る10年前、おっかなびっくりで旅したクロアチアの各都市も、知らない間にずい分と様変わりしたようである。これまた、時の流れの重みを感じずにはいられない。

 さて、私が今回クロアチアを久々に再訪したのは、ユーロ(欧州選手権)2008予選、クロアチア対エストニアを取材するためである。日本代表の欧州遠征の合間をぬって、多くの同業者がイタリア対フランスに向かったこの日、なぜに私はこのような地味なカードを選んだのか。キーワードは「“敗戦国”の現在」である。

“敗戦国”クロアチアはなぜ絶好調なのか?

 昨年のドイツでのW杯グループFで、日本とともに決勝トーナメント進出を逃したのがクロアチアであった。日本は、オーストラリア、クロアチア、ブラジルに●△●。クロアチアは、ブラジル、日本、オーストラリアに●△△。この結果に対する国民の失望は大きく、とりわけ第3戦でオーストラリアに2−2で引き分けたことで、当時のズラトコ・クラニチャル監督の評価は地に落ちた。

 代わって代表の指揮を執ったのは、元クロアチア代表のスラベン・ビリッチ、38歳である。大会初出場ながら3位に輝いた、1998年W杯メンバーの一員。準決勝のフランス戦で、巧みな転び方でローラン・ブランを退場に追い込み、3位決定戦ではフランス国民から盛んにブーイングを浴び続けた、あのビリッチである。
 大学で法学を修め、ギタリストとしてもそこそこ腕の立つ、インテリではあるが若すぎる監督の登場に、当初は懐疑的なまなざしを向ける者が多数派を占めた。加えて、失意のクロアチアが組み込まれたユーロ予選のグループは、サッカーの母国イングランド、フース・ヒディンク率いるロシア、そしてクセ者イスラエルが同居する、まさに死のグループ。クロアチア国内が悲観的ムードで覆われたのは、想像に難くない。

 ところがフタを開けてみると、ビリッチ率いるクロアチアは絶好調。難敵ロシアには、アウエー、ホーム、いずれもスコアレスドローで切り抜け、昨年10月のホームでのイングランド戦にも2−0という大金星を挙げ、さらにはイスラエルとの厳しいアウエー戦も殴り合いの末に4−3で勝利した。この結果、クロアチアはグループ首位を維持し、5試合を残して、本大会まであと10ポイントというところまで迫る大躍進。また予選以外でも、イタリアとの親善試合(ビリッチの初さい配)には2−0と勝利するなど、新体制になっての10試合は、8勝2分けの無敗を誇る。かくして、左耳にピアスを付けた元ギタリストの監督は、いきなり「名将」とうたわれ、地元メディアは現代表を「黄金時代」と呼ぶまでに至っている。

 日本と同じ“敗戦国”でありながら、クロアチアは今、絶好調である。それも、U―21代表監督のキャリアがあったとはいえ、実力的には未知数だったビリッチの手腕によって――。そのクロアチアに、勝ち点1差のグループ最下位の屈辱を味わった日本は、名将オシムを迎えながら、先のアジアカップでも、そして今回の欧州遠征でも勝ちきれない試合が続き、その手腕を疑問視する声も少なからず噴出している。
 今回、私がオーストリアを離れてクロアチアに向かったのは、同じ“敗戦国”の現在を見てみたい、そしてそこから日本が学ぶべき“何か”を持ち帰りたい、という思いによるものであった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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