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FC岐阜、森山泰行が目指すもの
Jに帰ってきたピュアストライカー

森山泰行のたどってきた道

 森山泰行がJに帰ってきた――。

 その響きに、心の中の何かが動くのを感じるサポーターも少なくないだろう。そこには、森山のたどってきた道が、入団当初は東海社会人リーグ2部にいたFC岐阜とともにあったという理由がひとつにある。それはこれまで幾多の元J1選手がたどってきた道とはまったく質が異なる。


 マスコミで活躍していくという方法もあっただろう。指導者としてコーチ、監督を目指す道もあっただろう。しかし、森山はそうしなかった。彼が選んだのは、一地方のクラブで選手を続け、そのクラブでJを目指すということだった。

「確かに04年7月に名古屋グランパスエイトでいったんは引退しました。でもそれはJ1、プロサッカー選手からという意味でのひと区切りであって、サッカー選手をやめたわけではないんです。自分の中でサッカーを完全に消化できたわけではなかったし、やり切っていないという思いが強くありました。ただ、クラブにも方針がある。サッカー界では30歳を超えればピークを過ぎたと思われがちです。またクラブにとっても、活きのいい若手の方が将来性を見込めるし、人件費も安くて済む。その頃は試合にもほとんど出ていなかったし、だったら一度フリーになってもいいのかなと思って『引退』しました」

 サッカーは、プロの世界にだけあるものではない。アマチュアも草サッカーもある。森山にとって何よりも大事だったのは「サッカーをする」ことだった。


 森山は1969年5月1日に岐阜県で生まれた。地元の笠松中学校で全国5位になり、高校は名門の帝京高校(東京都)に越境入学。順天堂大学を経てJリーグ元年となる93年に名古屋グランパスエイトに入団した。2年目からはレギュラー定着を果たし、3年連続2けた得点を記録。動き出しの速さとダイレクトプレーの精度を追求し、比類なき決定力を誇った。98年にはスロベニア、ブラジルでもプレーした。その後、サンフレッチェ広島、川崎フロンターレを経て、04年に古巣の名古屋で冒頭のとおりいったんは引退した。だが、“純”ストライカーとしてどん欲なまでにゴールを狙い続けるその一貫した姿勢は、クラブという垣根を越えた部分で、実に多くのサポーターを魅了した。

ひとり3役4役をこなす日々

 故郷にあるFC岐阜には、自分からアプローチした。

「引退しても、次にどこかでできる準備はしていました。そのとき目の前にFC岐阜があった。自然の流れだった、としか言いようがないですね」


 ついた肩書きは「選手兼監督補佐」だったが、プロ契約ではなかったため給料が支払われるわけではなかった。確かに一方では、日本代表歴も持つ森山の入団によって「岐阜からJ」への合言葉のもとに機運が盛り上がっていたが、現実は甘くなかった。森山はマスコミやサッカースクールで働きながら、さらにクラブのためにひとり3役4役をこなす日々を送ることになる。

「選手以外の立場でやらなければならないことはたくさんありました。営業なんかもそのひとつ。でも、苦労という思いはなかったですね。小さいクラブながら自分の発想と経験をフルに生かせる場所が見つかったわけですから。これまで培ってきたサッカー観をぶつけながら、自分とサッカーの可能性を追求できる。もちろん、そうした状況の中でも最終的に自分がプレーできる場所を確保するために、環境を耕してはいましたけどね」


 クラブがあってこそ自分がプレーできる。森山は「そこまで選手としての立場を強調してきたわけではないけれど」と言うが、そこにはやはり「サッカー選手」であることに対する森山の強いこだわりが感じられる。


<続く>

五味幹男

1974年千葉県生まれ。千葉大学工学部卒業後、会社員を経てフリーランスライター。「人間の表現」を基点として、サッカーを中心に幅広くスポーツを取材している。著書に『日系二世のNBA』(情報センター出版局)、『サッカープレー革命』『サッカートレーニング革命』(共にカンゼン)がある

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