FC岐阜、森山泰行が目指すもの=Jに帰ってきたピュアストライカー

五味幹男

チームの急上昇の陰で

 森山の入団はFC岐阜に、これまでどのクラブも経験したことがない上昇気流をもたらした。ホームタウンの岐阜市は人口約42万人の地方都市に過ぎない。東海地方の中心地である名古屋まで電車で20分という距離しかないため、ベッドタウン化しているという側面もある。だが、そうした中にあって、FC岐阜は県民の大きなバックアップを受けながら、全国区への階段を息つくことなく駆け上がっていった。
 05年には東海社会人リーグ2部で2位となり、同1部昇格を果たすと、翌年に優勝。JFL(日本フットボールリーグ)入れ替え戦でも勝利し、07年にはJFL3位でJ2昇格を決めた。それは、ある種の奇跡だといっても過言ではない。

 だが一方で、「選手」としての森山を見てみると、07年JFLでの出場機会は激減している。過去2年の東海社会人リーグでは8試合、11試合(1部2部ともに14試合で開催)の出場に比較すると、JFLでは34試合中8試合にとどまった。ゴールも天皇杯で1点記録したのみである。森山はそれをどうとらえているのだろうか。
「去年に関して言えば、コーチ的な役割をする割合が大きかった。途中で監督も交代しましたし、中盤戦以降は勝ちきれない試合が続いた。開幕8試合で7勝して、変に調子にのってしまったこともありますし。まずは試合に出場することよりも、チームをまとめるという部分でリーダーシップを発揮していかなければならなかった」

 選手である以上、出場はしたい。だが、それもチームがあればこそ。さらに入団以来Jを目標としてきた森山にとってJFLで2年目というのは、思い描いていたビジョンとはスピードが違った。なんとしても今年1年でJ2に上がる。かつてスポンサー獲得に奔走したこともある森山は、その期待と責任の重さを誰よりも感じていた。

帰ってきたJの舞台 その肩書きは

 森山の出場機会減少は、チームが成長した証しともとらえることができるだろう。FC岐阜の急激な成長の陰には、時には非情ともいえる相応の新陳代謝があった。04年当時と07年のメンバーを比較すれば大多数の顔ぶれが変わっている。FWでは2年目の片桐淳至がエースに成長し、相川進也も途中加入ながら8試合で4ゴールを記録した。すでにFC岐阜は、2役3役をこなしながらでも出場できるチームではなかった。もちろんそれは、チームの成長を願う森山にとっても、歓迎すべき変化であった。

 森山は今年も選手としてプレーすることを選んだ。
「クラブをJ2に上げたところで辞めれば、奇麗な身の引き方になったかもしれません。ではなぜ続けようと思ったのかといえば、ひとつには戦略という部分がある。クラブにとって一番のネックはやはり入場者収入。これはまだまだ足りない。その意味ではどんな形でもネームバリューのある選手が必要なんです。それもクラブの大事な財産だと思いますし、実際自分が続けることでマスコミも注目してくれますから」

 FC岐阜をここまで作り上げ、これからも作り続けていこうとする男の覚悟ともいえる言葉。だが、森山泰行という選手のこれからを語るには十分とは言えない。選手としてどこまでも純粋にゴールを追及してきた男は、帰ってきたJリーグの舞台に何を求めているのか。森山は思いを巡らせた後、答えた。
「勝負するところはこれまでと変わらない。自然体でプレーすること。かつてJ1で何度か経験した、自分の想像を超えるプレーがひとつでもできたら――。確かにスピード、体のキレという部分では衰えているかもしれない。だけど自分は、それでも潜在能力を引き出すことができると思っている。サッカー選手としての自分に、新しい発見をしたい」

 森山泰行がJの舞台に帰ってきた。
 現在、森山の肩書きは「選手」のみである。

<了>

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著者プロフィール

1974年千葉県生まれ。千葉大学工学部卒業後、会社員を経てフリーランスライター。「人間の表現」を基点として、サッカーを中心に幅広くスポーツを取材している。著書に『日系二世のNBA』(情報センター出版局)、『サッカープレー革命』『サッカートレーニング革命』(共にカンゼン)がある

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