大久保嘉人が感じた川崎の「甘さ」とは 強さは見せるも、届かなかった初戴冠
天皇杯でも鹿島に敗れ、7度目の2位に
クラブ創設20周年目に初戴冠を目指した川崎だったが、天皇杯優勝はならなかった 【写真:アフロスポーツ】
同カードとなった昨年11月23日のチャンピオンシップ(CS)準決勝をけがで欠場していた小林悠、大島僚太の両選手が決定機に絡む川崎の攻撃に対し、鹿島はサイドからの攻撃に活路を見いだしていた。共に決定機を作りながらゴールに至らない試合からは緊張感が漂い始める。そうした試合におけるセットプレーの重要性はサッカー界の常識だった。
試合が動いたのは、前半42分のこと。遠藤康が蹴ったCKを山本脩斗が頭で押し込んで鹿島が先制。しかし後半9分には、川崎がパスワークとアイデアの連係で鹿島守備陣を破り、小林が同点ゴールをねじ込んだ。90分を1−1で終えた延長前半4分に鹿島がCKからの流れで再びリードを奪う。このファブリシオのゴールが決勝点となり、鹿島が19冠目のタイトルを手にした。クラブ創設20周年目の節目の年に、初戴冠を目指した川崎は7度目の2位に甘んじた。
タイトル獲得を公言したのは07年
クラブとしてタイトル獲得を公言したのが、07年の新体制発表会見でのこと。当時の武田信平社長の宣言に対し、場内のサポーターは驚きの声を上げた。当時はまだ、そういうクラブだったのだ。93年にJリーグが開幕した際のオリジナル10で、その時からタイトルを目指してきたクラブとは歴史の厚みが違う。とはいえ、タイトルを公言してから10年になる。その間のクラブの歩みはご存知の通り。サポーターに愛されるチームを標ぼうし、トップチームからの全面的な協力の中、チームリーダーで16年のJリーグMVPを受賞した中村憲剛を筆頭に、選手も積極的に地域密着政策を推し進めてきた。
トップチームが採用してきた攻撃的なスタイルや、サポーターとの距離の近さ、関係自治体との良好な関係などを踏まえ、川崎のことを知る多くの関係者からは「タイトルを取ってほしいクラブ」と言われ続けてきた。取るに値するチームなのは間違いないが、今季もまたタイトルには届かなかった。
ここ一番で勝てなかったシーズン
今季の川崎は、引き分けの試合を勝ちにつなげる勝負強さは実現していたが…… 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
磨いてきた攻撃で鹿島を追い詰めた天皇杯決勝は、セットプレーという相手の特徴を生かされて失点。その鹿島と対戦したCS準決勝もスローインからのスキを突かれ、失った1点を挽回できなかった。
鹿島に準決勝で敗れたCSの結果、川崎の最終順位は3位となった。浦和レッズと競り合った年間勝ち点では2位に。天皇杯準優勝に終わった16年度のシーズンは、川崎にとって大事な1年だった。クラブ創設20年目の節目の年で、フロントも現場もタイトルへの意気込みを見せていた。
J1開幕節のアウェーでの広島戦を1−0で辛勝した川崎ではあるが、続く湘南戦で4失点するなど(4−4)、不安定な守備を露呈。それを得点力でカバーしつつ、次第に攻守のバランスを取り始める。新加入の奈良竜樹、GKチョン・ソンリョン、シーズン開幕後に柏レイソルから加入したエドゥアルドのコンビがゴール前を締め、堅守を実現。失点を減らす一方で勝ち点を積み重ねていった。16年の無失点試合は1stステージが7試合。2ndステージは6試合を数えた。15年が年間6試合だったことを考えると、守備力が大幅に改善されているのは明らかだった。
結果的に2位に終わる1stステージで喫した敗戦は、浦和を相手にした1敗のみ。負け試合を引き分けに。引き分けの試合を勝ちにつなげる勝負強さをチームは実現していた。ところが、ここ一番の試合で川崎は勝ち点を落とし続けた。1stステージ優勝がかかったアウェーでの福岡戦を2−2で引き分けて鹿島の逆転を許し、そのまま優勝を逃した。