ゴン中山「現役復帰」の舞台裏 アスルクラロ沼津(2015年・秋)〜『サッカーおくのほそ道』より

宇都宮徹壱
 11月16日、今季のJFLを年間通算順位3位でフィニッシュしたアスルクラロ沼津のJ3昇格が正式に認められた。地域に根ざした総合型スポーツクラブとして、Jリーグ開幕前夜の1990年に設立。それから26年目にして、ついにJクラブとなることに、クラブ関係者や地元サポーターは、さぞかし万感の思いを抱いていることだろう。

 さて、沼津が3シーズンにわたって戦ってきたJFLというリーグは、J1から数えて4番目という位置付けにあり、「アマチュア最高峰のリーグ」と呼ばれている。このカテゴリーには沼津のように、将来のJリーグ入りを目指すクラブがある一方、今年の天皇杯で旋風を起こしたHonda FCのように、あえてJリーグを目指さないクラブもある。この「Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ」を長年にわたって追いかけたノンフィクション作品が、このほど発売された、宇都宮徹壱著『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)である。

 国内サッカーといえば、中央のメディアが取り上げるのは基本的にJ1ばかり。しかしながら、JFLやさらに下の地域リーグのクラブにも、さまざまな歴史があり、豊かな地域性があり、そして知られざるドラマがある。15章にまとめられた本書の中から、今回は沼津のJ3昇格を記念して、第10章の『ゴン中山「現役復帰」の舞台裏』をダイジェスト版でお届けする。なお、本稿の初出は『フットボール批評 issue08』。現地を取材したのは、昨年の10月初旬であったことを付記しておく。

Jリーグ開幕前夜に設立された総合型スポーツクラブ

12年の現役引退から3年。元日本代表、中山雅史のアスルクラロ沼津入団は大きな話題となった 【宇都宮徹壱】

 初めて訪れる沼津の空は、まさにアスルクラロ(スペイン語で明るい青)だった。今回、静岡県の東部に位置する沼津市を訪れたのは、「ゴン」こと中山雅史のアスルクラロ沼津加入が契機であった。2012年の実質的な現役引退から3年。最近はスポーツ情報番組のコメンテーターが板についてきた中山であったが、48歳の誕生日直前での現役復帰(しかも4部に相当するJFLで)。これには誰もが驚かされた。果たして中山の現役復帰は、アスルクラロというクラブに、沼津という街に、そしてJFLというカテゴリーに、どんな変化をもたらすのだろうか。

 ホームでのソニー仙台戦を前日に控えた15年10月1日。まずはクラブハウスで関係者に話を聞くことにした。平屋の建物の周囲には、フットサルコートとテニスコートが併設されている。実はアスルクラロは、サッカー以外にも、テニス、新体操、キャンプなども行う総合型スポーツクラブである。しかも設立は、今から四半世紀前の90年。Jリーグ開幕の3年前だ。この先見性溢れるクラブを立ち上げたのが、地元出身でアスルクラロスルガ株式会社の代表取締役、山本浩義。アテネ五輪で日本代表を率い、現在は解説者でおなじみの山本昌邦の実弟である(兄の昌邦は、一般社団法人アスルクラロスポーツクラブの理事長を務めている)。クラブ設立の経緯について。山本はこう語る。

「兄とは高校(日大三島)も大学(国士舘)も一緒で、ずっとサッカーをやっていましたが、それで食っていこうとは思いませんでしたね。結局、教職免許を取って、埼玉の高校で体育教師になりました。その時、幼稚園の子供に体操を教えるスポーツクラブでアルバイトしたんですが、この年代の子供たちにスポーツの楽しさや身体を動かす爽快さを教えるのかというのが、実は非常に重要であることに気付かされたんです」

 山本はその後、高校教師という安定した身分を捨て、地元に戻ってアスルクラロの前身となる『有限会社沼津セントラルスポーツ』を90年に立ち上げる。そして設立から13年後の03年、社名を現在のアスルクラロに変更。一方、地元にあった『沼津香陵クラブ』という社会人チームをトップチームに据えるべく、こちらもクラブ名を『アスルクラロ沼津』に変更する。そして08年からは山本自らがチームの代表者となり、さらに上のカテゴリーを目指すこととなった。そこで舞い込んできたのが、J3創設の話である

「J3が始まることを知って、その条件を確認したらウチにも資格があることが分かって申請したんです。翌13年は地域決勝(現在は全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)に進めず、結局JFLからのスタートとなりましたが、ジヤトコFC(03年に解散)以来の東部でのJFLクラブですからね。地域の期待はひしひしと感じています」

実は多くのタレントを輩出している静岡県東部

沼津の吉田謙監督。静岡県東部からタレントが多く生まれる理由について「教わりすぎないこと」と語る 【宇都宮徹壱】

 山本に続いて話を聞いたのは、監督の吉田謙である。吉田は東京都出身の45歳。ジヤトコFCで現役を引退後、そのまま沼津に残ってアスルクラロで長年にわたり育成年代の指導に従事してきた。10年にS級ライセンスを取得し、今季からトップチームを率いている。まずは吉田に、外部の人間から見た県東部のサッカー地政学を語ってもらった。

「実は東部からは、けっこうタレントは出ているんですよ。小野伸二は沼津、高原直泰は三島、川口能活は富士の出身です。でもみんな、清水のほうに流出してしまう。山本さんも『東部の子供たちを東部で育成できる環境を作りたい』と、よくおっしゃっていましたね。東部にタレントが生まれる理由ですか? 『教わりすぎないこと』だと思います。この辺りは海と山に囲まれていて、子供たちが自然と触れ合う機会がたくさんあるんですよ。サッカー以外の遊びもたくさんある。そういった遊びの中から、自由な発想が生まれて、それがプレーにも反映されていると思います」

 吉田は現役引退後の00年より、U−15チームの指導を担当する。当時のチーム名は『ジュビロ沼津』。ジュビロ磐田の東部における育成チームという位置づけであった。磐田は東部でのタレント発掘とプロモーションが同時にできるし、アスルクラロはジュビロのブランド力で子供たちを集めることができる。これまた、磐田の監督だった兄を持つ、山本のアイデアであった。ちなみに、ジュビロ沼津からは、川俣慎一郎(鹿島アントラーズ)、加賀美翔(清水エスパルス)、内田恭兵(京都サンガ)など、多くのJリーガーを輩出。その後、磐田との提携は08年で終了し、現在はアスルクラロの名前で活動している。

 かくして、10年以上の長きにわたって幾多のタレントを育て、満を持して今季からトップチームを率いることになった吉田。そこに突然、降って湧いたような中山雅史の加入を、3歳年下の指揮官はどのように感じているのか。当人の答えは、意外と冷静であった。

「素直にうれしかったですね。ただし、最初の練習参加を見ていて『この人、本気なんだ。決して冷やかしではないんだ』と思ったので、現役復帰そのものに驚きはないです。練習中も、常に悔しがったりうれしがったり、サッカーが楽しくて仕方がない、まるで中学生のような瞳をしていました(笑)。あらためて『この人と一緒にやりたい』って思いました。もっとも、ゴンさんのことは僕もリスペクトしていますが、監督である以上、いち選手として見ています」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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