ゴン中山「現役復帰」の舞台裏 アスルクラロ沼津(2015年・秋)〜『サッカーおくのほそ道』より

宇都宮徹壱

メディアに衝撃を与えた「中山、ベンチ外」!

J3昇格を目指す沼津のサポーター。03年に解散したジャトコFCを応援していたという者も少なくない 【宇都宮徹壱】

「ゴンが復活する」とうわさされる、翌10月2日の試合当日。駅前のシャトルバスに乗って、会場の静岡県愛鷹広域公園多目的競技場に向かう。乗客の中には、磐田のタオルマフラーや古い代表グッズを身に付けた人を何人も見かけた。中山が磐田を去って6年、最後の代表戦に出場してから12年が経過しているのに、いまだにこの根強い人気だ。とはいえ、今回の取材の主目的は、あくまでもアスルクラロ沼津である。スタジアムに到着後、さっそくゴール裏のコアサポに話を聞いてみることにした。コールリーダーの『ザビ太』は、今日のソニー仙台戦の重要性をこう語る。

「ウチは現在、総合順位で5位。鹿児島ユナイテッドを抜いて4位以内にならないと、J3昇格はないんです。残り6試合、全勝でいきたいけれど、今日の相手は首位のソニー。ウチはまだ一度も勝てていない相手です。でも、それだけに気合は入っていますよ」

 実はザビ太はかつて、ジヤトコFCのサポーターだった。解散が発表された03年にはチーム存続を訴えるべく、仲間たちと一緒に署名活動も行っている。アスルクラロの存在を知ったのは、県リーグ時代の06年から。だが、すぐに違うチームに乗り換えるのは憚られたので、東海リーグに昇格してから応援を始めたという。その間、実に6年。待たされた分だけ、応援が楽しくて仕方がないという。

「ジヤトコ時代の仲間も3〜4人残っています。もちろん、アスルクラロとジヤトコはまったく違うチームですけど、吉田監督をはじめ東部のサッカー人脈のつながりが感じられますし、JFLの舞台で再び応援できるのがうれしかった。ただ、去年はうれしさだけで終わった部分もあったので、今年はサポも本気でJ3昇格を目指しています」

 その後もメーンスタンドには続々と観客が詰めかけ、最終的に8337人もの入場者数となった。通常の3倍近い数字。もちろん、クラブ史上新記録だ。一方、取材者の数も尋常でなく、大手メディアも含めて45人(普段なら4〜5人くらいだそうだ)。すさまじいまでのゴン人気である。やがてキックオフ1時間前となり、メンバー表が配布される。スタメンに、中山雅史の名はなかった。サブにもない。「中山、ベンチ外」! その瞬間、メディア控室の空気は、文字通りこわばっていた。

 さすがにクラブ側も、配慮すべきだと判断したのだろう。試合前には中山自らが入団発表のあいさつをし、理事長の山本昌邦が背番号39の中山のユニホームを披露してフォトセッション。さらに試合後には、ベンチ入りしなかった選手たちのトレーニングに中山も参加することがメディアに伝えられ、ようやくキー局のクルーも納得した。

「中山選手は30人いる選手のひとり」という正論

今まで一度も勝てていないソニー仙台を相手に、蔵田岬平のゴールで先制。愛鷹のスタンドが沸いた 【宇都宮徹壱】

 肝心の試合は、なかなかにスリリングな展開となった。前半0−0で折り返した65分、右サイドの速攻から蔵田岬平のゴールでアスルクラロが先制。一時はゲームの主導権を握る。しかしソニー仙台は、その6分後に同点に追いつき、さらに終了間際の劇的な逆転ゴールで首位の意地を見せた。ファイナルスコア、1−2。アスルクラロの淡い夢は、ものの見事に打ち砕かれた。それでも、最後まで諦めずに戦い抜いた選手たちには、スタンドから温かい拍手と歓声が送られた。果たして、この日初めて愛鷹を訪れた観客の何人が、今後もリピーターになってくれるだろうか。試合の結果以上に、そのことがまず気になった。

 試合後の会見、指揮官の吉田に「中山をベンチ外にすることに迷いはなかったのか」とあえて尋ねてみた。案の定、吉田は少し憮然とした表情を浮かべながら「中山選手は30人いる選手のひとり。特別枠を設けて彼を試合に出すようなことをするつもりはないし、それは日本サッカーのレジェンドに対して失礼だと思う」と語った。健全な回答を得られて、私は密かに安堵(あんど)する。相手との力関係、そして当人のコンディションを考慮すれば、いくら話題性があるといっても、ベンチ入りさせなかったのは当然の判断であったと思う。

 実はアスルクラロの選手は、期限付き移籍の選手を除けば全員がアマチュアの身分だ。午前中の練習が終われば、午後はそれぞれの職場でサッカーに直接関係のない仕事に従事して生計を立てている。中山についても、テレビ出演などの収入がメーンであり、アスルクラロからの金銭的な見返りははなから求めていないはずだ。ただし、テレビの収録と練習がバッティングしたら、やはり前者を優先せざるを得ないだろう。厳しい言い方になるが、そのような立場にある選手がスタメンを張れるほど、JFLは甘くはない。

 すべての取材を終え、今回お世話になった人たちにあいさつしてから、あらためて試合後のピッチに視線を送る。スタッフがテキパキと看板の撤去作業を続ける中、ベンチ入りできなかった若い選手たちに混じって、48歳の元日本代表がピッチ上で汗を流していた。吉田が言うように、確かに「中学生のような瞳」をしているが、そこには出番を与えられなかった悔しさが見て取れる。ストイックで、泥臭くて、そして負けず嫌い。われわれがよく知っている、いい意味で何も変わっていない中山雅史の姿が、そこにあった。

 そして、久しぶりに取材したJFLの風景もまた、何も変わってはいなかった。「ゴン中山降臨」のうわさで、多少は観客数が増え、メディアの注目度は増したかもしれない。しかしそれらを除けば、自由で大らかで懐の深い、いつものJFLがそこにはあった。(文中敬称略)

『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ目指さないクラブ』(PR)

【カンゼン】

第1章 Jリーグを目指さなかった理由
Honda FC―2008年・春

第2章 幻の「石川FC構想」
ツエーゲン金沢&フェルヴォローザ石川・白山FC―2008年・春

第3章 SAGAWAに「野心」はあるのか?
SAGAWA SHIGA FC―2008年・春

第4章 いつか「普通のクラブ」になるまで
福島ユナイテッドFC―2011年・春/12年・冬

第5章 「半袖隊長」の矜持
AC長野パルセイロ―2011年・秋

第6章 なぜ今「J3」なのか?
公益社団法人 日本プロサッカーリーグ―2013年・春

第7章 「今そこにあるサッカーを愛せ!」
ホンダロックSC―2013年・春

第8章奈良劇場総支配人、大いに語る
奈良クラブ―2013年・夏

第9章 アマチュアにとっての「約束の地」
三菱重工長崎―2014年・秋

第10章 ゴン中山「現役復帰」の舞台裏
アスルクラロ沼津―2015年・秋

第11章 「ミスターレノファ」と呼ばれた男
レノファ山口FC―2015年・秋

第12章 街クラブが「世界を目指す」理由
ブリオベッカ浦安―2016年・春

第13章誰が「坂本龍馬」だったのか?
高知ユナイテッドSC―2016年・春

第14章 激突! 南部対津軽
ヴァンラーレ八戸&ラインメール青森―2016年・夏

第15章 近所にフットボールクラブがある幸せ
東京23FC&東京武蔵野シティFC―2016年・秋

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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