黄金期を終えたスペイン代表 ロペテギは新たな時代を切り開けるか?

スペイン代表の新監督にフレン・ロペテギが就任

スペイン代表の新監督にフレン・ロペテギが就任した 【写真:ロイター/アフロ】

 祝杯をあげている暇などない。ビセンテ・デル・ボスケの後任に選ばれたスペイン代表のフレン・ロペテギ新監督は、自身に与えられた時間がわずかであることをよく理解している。8年にわたる長期政権を築いた前任者とは違い、彼はこれまで成功を保証できるような実績を挙げてきたわけではないからだ。

 8月に50歳を迎えるロペテギは、選手として偉大なキャリアを築くことはできなかった。地元ギプスコアのレアル・ソシエダでプロデビューし、ほどなくレアル・マドリーのBチームであるレアル・マドリー・カスティージャに移籍した将来性のあるGKではあったが、今となって思い起こされるのは苦い記憶ばかりだ。バルセロナ時代の1995年には、サラゴサとのスーペルコパ・エスパーニャで重大なミスを犯し、カルロス・ブスケッツとのポジション争いに敗れた。ラージョ・バジェカーノではチームの1部昇格に貢献しながら、その後の3シーズンは米国人GKケーシー・ケラーの控えとしてベンチに座り続けた。

 一方で、運に恵まれた部分もあった。ハビエル・クレメンテ監督の指揮下で臨んだ94年のワールドカップ(W杯)米国大会では本大会メンバーに選出された。第3GKとしての招集だったものの、同年のクロアチアとの親善試合ではアンドニ・スビサレッタに代わって途中出場し、“ラ・ロハ”(スペイン代表の愛称)における最初で最後のプレー機会を授かっている。

過去には世代別代表で結果を残す

13年のU−21欧州選手権を制するなど、ロペテギは世代別代表で結果を残してきた 【写真:Action Images/アフロ】

 2002年の現役引退とともにスタートした指導者としてのキャリアも、順風満帆と言えるものではない。初めて指揮を執ったラージョではわずか数カ月で解任され、チームも2部から3部へと降格した。14年に就任したポルトでも、無冠のまま2シーズン目の途中で解任されている。彼が最も株を上げたのはコメンテーターとしてで、06年W杯ドイツ大会では民放局ラ・セクスタで解説者を務め、その後はスペイン国営放送でビクトル・フェルナンデスの後釜を務めた。

 10年から14年にかけて歴任したU−19、U−20、U−21スペイン代表監督時代は、間違いなく指導者として最も安定した時期だったと言える。この間、彼は11年にU−19、13年にU−21の欧州選手権を制している。

 今回フル代表の監督に抜てきされたのも、この間に築いたスペインフットボール協会(RFEF)との関係が最大の後押しとなった。デル・ボスケは以前から彼のことを自身とよく似たプレー哲学を持つ後継者と考えていたからだ。

 しかしながら、すでにロペテギはラ・ロハに変化をもたらす意思を口にしている。ブラジルに0−3で玉砕した13年コンフェデレーションズカップ決勝、早期敗退を強いられた14年W杯、そしてイタリアに完敗した今年のユーロ(欧州選手権)2016がそうであったように、もはや1つのプレースタイルを90分間保ち続けるだけでは、勝つことが難しくなっているからだ。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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