友人・坪井智哉が知るイチローの素顔 「続けるべき」と断言してくれた現役生活

岡田真理
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合同で自主トレーニングを行うイチロー(右)と坪井。写真は2011年のもの 【写真は共同】

「ボロボロになるまで野球を続ける自分を、ずっと支持してくれた」と、かつてのやりとりを振り返る坪井智哉(現横浜DeNA1軍打撃コーチ)。イチローとは、「同級生」「振り子打法」という共通項をきっかけにグラウンドの外で親交を深めていった。二人が出会った1998年までさかのぼって記憶を呼び起こしてもらうと、イチローが今も変わらず活躍できている理由が浮かび上がってきた。

 イチローは1991年ドラフト4位で愛工大名電からオリックスへ入団。その後の活躍は語るまでもないだろう。同学年の坪井はPL学園から青学大、社会人の東芝を経て97年のドラフトで阪神に指名される。主軸として活躍し、2003年に日本ハムへ移籍。06年オフに自由契約となったが、異例の再契約を結ぶ。10年オフには2度目の戦力外となり、11年はオリックスでプレー。12年からは渡米し独立リーグで奮闘し、14年8月に引退を発表した。

 野球人生の節目節目でイチローと語り、自身の進む道を見つめてきた坪井。イチローとの交流のなかで生まれた感情、友人だからこそ見せるイチローの素顔などについて語ってくれた。

プロ入りのきっかけは振り子打法

――最初にイチロー選手のことを知ったのはいつ頃でしょうか?

 高校の頃からお互いのことは知っていたんです。接点はなかったんですけど、僕の幼馴染みの友人がイチローと同じ愛工大名電に進学して、彼から「鈴木っていうすごいやつがいるよ」と聞いていて。どんなにすごいのか見てみたいという気持ちはあったんですけど、僕は結局3年間甲子園に出られなくて、悔しさでテレビ中継を見ることもなかったので、イチローのプレーを目にすることはありませんでした。あとからわかったんですけど、イチローのほうもその友人から「PLに坪井っていうのがいるよ」と聞いていたみたいです。

――では、最初の接点は坪井さんがプロ入りした時ですか?

 そうですね。当時(98年)、福本豊さんが阪神の打撃コーチをやっていて、オープン戦でウォーミングアップしていた時にたまたまイチローが近くにいて、福本さんが「同じ左バッターの新人だからいろいろ教えてやってくれ」と僕のことを紹介してくれたんです。そしたら、イチローが「(友人から)話は聞いてるよ」って言ってくれて。それで、食事に行こうという話になって連絡先を交換したところからつきあいが始まりました。

――プロ入り当時は坪井さんも振り子打法でしたが、それはイチロー選手の影響ですか?
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著者プロフィール

1978年、静岡県生まれ。立教大学文学部卒業。プロアスリートのマネージャーを経てフリーライターに。『週刊ベースボール』『読む野球』『現代ビジネス』『パ・リーグ インサイト』などでアスリートのインタビュー記事やスポーツ関連のコラムを執筆。2014年にNPO法人ベースボール・レジェンド・ファウンデーションを設立し、プロ野球選手や球団の慈善活動をサポートしている。

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