【ノア】潮崎が亡き三沢さんに捧げるGHC初防衛 ノア所属として復帰も杉浦の襲撃でダウン

高木裕美

三沢さんの遺影の前でGHCを守る決意

三沢さんの遺影の前でGHC王座初防衛に成功した潮崎はノア復帰を表明 【前島康人】

 12日のプロレスリング・ノア「Emerald Spirits 2016 in KORAKUEN」東京・後楽園ホール大会では、GHC3大タイトルマッチが開催され、超満員となる1415人を動員。また、会場隣の5階展示場には09年6月13日に亡くなった三沢光晴さんの献花台が設置され、ファンが花を手向けた。また、第1試合開始前には追悼セレモニーも行われ、緑の紙テープが投げ入れられた。

 メインイベントのGHCヘビー級選手権試合では、潮崎豪が30分を超える激闘の末、鈴木軍のシェルトン・X・ベンジャミンを退け初防衛に成功。自身が最後のパートナーを務めた三沢さんの遺影の前で、「ノアの潮崎豪として、このGHCを、誇りを守っていく」と決意を語るも、直後に前王者の杉浦貴の急襲を受け、無残な姿をさらした。

豪腕ラリアットでベンジャミンを粉砕

【前島康人】

 7年前の6.13広島大会で潮崎は三沢さんと組んでGHCタッグ王座に挑戦。だが、その試合中に三沢さんは帰らぬ人となり、その翌日の博多大会で潮崎は初めてGHCを戴冠。三沢さんの遺志を引き継ぐ新エースとしてファンから期待された。
 だが、12年末、潮崎はノアを退団。全日本プロレスに移籍したが、昨年11月、フリーとして再びノア参戦を表明。だが、ファンからは「裏切り者」扱いされ、激しいブーイングにさらされた。しかし、徐々にファンの支持を集め、5.28大阪大会では鈴木軍の杉浦を破って、4年半ぶりに王座返り咲きを果たすと、観客も一体となって戴冠を祝福した。

【前島康人】

 GHC戴冠からテーマ曲を一新した潮崎だが、初防衛戦はイバラの道となった。ベンジャミンは鉄柱にたてかけたテーブルごと、潮崎の体をスピアーでへし折ると、胴絞めスリーパー、エプロンへのパワーボム、投げ捨てパワーボム、アンクルホールドと、驚異的な身体能力から繰り出される多彩な技で、潮崎を苦しめる。
 潮崎もトペスイシーダ、逆水平チョップで追い込むと、リミットブレイク、走りこんでの豪腕ラリアットでフィニッシュ。辛くも振り切った。

大「潮崎」コールも杉浦の急襲で一転

潮崎の決意に丸藤は所属選手の証ノアジャージを渡した 【前島康人】

 試合後、三沢さんの前で防衛できた喜びを語りつつ、「このGHCのベルトを巻くには、まだまだオレの力が足りていない」と、真の王者になるためのプラスアルファを訴えた潮崎は、「こうして一度ノアを出て行った人間が言うのは違うかもしれませんが、オレをノアの一員として、ノアに入れてください」と懇願。これに対し、ノアの副社長でもある丸藤正道は、潮崎の決意を確認すると、ノアの所属選手の証であるノアジャージを潮崎の肩にかけて去っていった。

大「潮崎」コールを受けた潮崎だったが、杉浦の襲撃を受け大ダメージ 【前島康人】

 潮崎は「このGHCの誇りを、明るさを、地元の熊本にも、皆さんにも、光を照らしていきます!」と宣言し、ファンも「潮崎」コールで支持するが、突然の杉浦の急襲で一転。イスでメッタ打ちにされた潮崎は、床に倒れこみ、セコンドの肩を借りてボロボロになって引き揚げた。
 潮崎がノアの一員となったことで、ますますノアvs.鈴木軍の抗争がヒートアップすることは確実。また、5.28大阪の再戦となる潮崎vs.杉浦による5度目のGHC戦も決定的となった。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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