カンボジア戦で問われているのは何か? 日本を戸惑わせる人工芝と慣れないボール

宇都宮徹壱

「漢字が多い」「バイクが多い」「若者が多い」カンボジア

「キリング・フィールド」にはためくカンボジア国旗。この国の苛烈な歴史に思いを巡らせてみる 【宇都宮徹壱】

 シンガポールで11月12日に行われた、ワールドカップ(W杯)アジア2次予選の取材を終えて、次の試合が行われるカンボジアの首都・プノンペンにやって来た。カンボジアを訪れるのは今回が初めてだが、空港からタクシーでホテルに向かう道すがら、3つのことに気がついた。すなわち「漢字が多い」「バイクが多い」「若者が多い」である。

「漢字が多い」というのは、街中の看板に中国語表記が多いということである(ハングルも比較的多い)。これは、海外からの直接投資額で中国が圧倒的に他国を上回っており、当地への中国企業の進出も突出していることを示している(中国がカンボジアへの経済援助に積極的なのは、ASEAN=東南アジア諸国連合=の結束を分断するためとの見方もある)。

「バイクが多い」というのは、かつてのタイやベトナムがそうだったように、ASEAN諸国が発展途上の段階だった頃にはよく見られた光景だ。最近のタイやベトナムの都市部は(そしてシンガポールも)、高層ビルが林立して何やら先進国に迷い込んだような気分になるが、プノンペンは中心街でもまだまだ「懐かしい東南アジアの風景」が広がっている。

 そして「若者が多い」。ヘルメットなしでバイクを乗り回しているのは、そのほとんどが若者たちである。カンボジアは「人口ボーナスによって経済発展が見込まれる国」として注目を集めているが、この国の人口ピラミッドを見てみると奇妙な凹みがあることに気付かされる。すなわち、35歳から39歳までの人口が極端に少なく、その親の世代を含む60歳以上の人口がきゅっと絞られているのだ。これは1975年から79年にかけて、極端な共産主義に基いて200万人にも及ぶ国民を虐殺したポル・ポト政権時代の影響である(犠牲者の正確な数字は分かっていない)。この狂気の政権が崩壊した直後の80年代初頭、カンボジア国民の平均寿命は30歳だったとも、14歳以下の人口が85%を占めていたとも伝えられる。

 カンボジア戦を2日後に控えた15日、プノンペン中心街から車で40分ほど離れたところにある「キリング・フィールド」を見学してきた。ここはかつて、ポル・ポト政権の秘密警察によって善良な「知識人」が集められて、問答無用の虐殺が行われた処刑場であった。犠牲者の遺骨が収められた慰霊塔は言葉にできないくらい衝撃的であったが、おりしもパリで起こった同時多発テロの直後なだけに思いは複雑であった。イデオロギーが世界の対立軸だった時代はとうに終わったが、偏狭な思想が憎悪と虐殺を連鎖させる時代は形を変えて今も続いている。もし日本代表の応援のために現地を訪れている人がいたら、ぜひとも時間を見つけて「キリング・フィールド」を訪ねてほしい。日本語によるガイドもある。

「慣れるのに時間がかかる」ベトナム製のボール

人工芝のピッチで試合球の感触を試す西川。「意外とブレるボールなので気を付けないと」と語る 【宇都宮徹壱】

 カンボジア戦を2日後に控えた日本代表は、この日、試合が行われるプノンペン・ナショナルオリンピックスタジアムで行われ、冒頭の15分のみが公開された。会場のスタジアムは1964年、すなわちカンボジアがまだ平和だった時代にオープンし、以来半世紀以上にわたってほとんど形を変えずに今に至っている。5万人収容のスタンドは、メインのみ座席椅子となっているが、それ以外はコンクリートがむき出しの段差があるのみで、多くの観客はここに座ることになる。一方、陸上トラックに囲まれたピッチは天然芝ではなく、人工芝。日本が人工芝のピッチで公式戦を戦うのは、2011年11月15日に行われた北朝鮮とのW杯予選以来のこととなる。前日、本田圭佑はピッチの状況についてこう語っていた。

「日本のそれと、ほとんど違いはない。僕はプロになるまでずっと人工芝だったので、それほど違和感はないですね。水で濡らしたら分からないですけど、乾いた状態での感覚は日本の人工芝とそれほど変わらない。むしろ気になるのはボールのほうですね。硬さや重さ、タッチの感じが違うので、そっちのほうが慣れるのに時間がかかると思います」

 ここで本田が言及したボールとは、日本ではまずお目にかかったことのないベトナム製のものである。アジア予選では、FIFA(国際サッカー連盟)が定める基準を満たしていれば、基本的にどのメーカーのボールを使用してもよく、これまで日本はアディダス製とナイキ製のボールで試合を行っている。ただし今回のボールは、メンバーの誰も触ったこともないものであり、本田が「慣れるのに時間がかかる」と語るのも、もっともな話である。それではゴールを守る立場からすると、このピッチとボールはどのように感じられるのだろうか。GKの西川周作に話を聞いた。

「ピッチは意外とふかふかしていて、ボールは走らないし、グラウンダーやバウンドするボールが素直に転がってこない。あとゴムチップの量が多いので、バウンドすると目に入ることもあるので、そこは気を付けないといけないですね。(ボールの感触は)Jリーグで使っているのだったり、ナイキだったりよりかは少し重い印象。意外とブレるボールなので、そこも注意していかないと。カンボジアはけっこう遠めから打ってくるんですが、ブレるとやっかいなので、そこで打たせないリスクマネジメントも大事だと思います」

 予選6試合を終えて0勝6敗、1得点19失点でグループ最下位に沈むカンボジアに、日本が不覚を取ることは考えにくい。おそらく日本も、大幅にメンバーを変えてくることだろう。むしろ慣れないピッチとボールという不確定要素に対して、どれだけしっかり準備して不測の事態に対応できるか。カンボジア戦で問われているのは、まさにその部分に集約されているように思える。
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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