ホープから“大人”のテニス選手へ 17歳・大坂なおみに訪れた変化の時
時速200キロのサーブにどよめき
東レPPOでは初戦敗退も、200キロを超えるサービスで観客を驚かせた大坂なおみ 【末永裕樹】
試合後の記者会見――。多くのカメラマンや記者を目の前にしてひな壇に座った17歳は、か細い声でそう言った。大会主催者推薦枠(ワイルドカード)を得て出場した同大会で、大坂は世界ランク40位のバーバラ・ザラボバ・ストリコバ(チェコ)に5−7、2−6で敗退。大きな注目を集めて“母国”日本のセンターコートで戦うことは、シャイな少女の恵まれた体を、緊張の糸でしばりつける。「今日の試合では、どういう訳か腕を振れている感じがせず、ボールを押し返しているような感覚だった」と振り返った大坂。いずれのセットも出だしにミスが重なり、中盤から追い上げるも経験豊富な29歳の円熟の技にかわされた。
「プレーが安定しなかった。リターンも悪い。相手は私にプレーをさせ、私はたくさんのエラーをしてしまった。自分のミスで負けた印象」
口をつくのは、悔しさのにじむ反省の言葉ばかりだった。
日本で開催される女子大会で最もグレードの高い東レPPOが、世界ランキング182位の17歳にワイルドカードを与えたのは、その将来性に対する期待の表出に他ならない。昨年の7月にはツアーデビュー戦で、当時19位のサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を破った実績は、ワイルドカードを受け取る資格十分。加えて、現在の女子テニス協会(WTA)の規定では、18歳未満の選手は出場大会数に上限があるため、若手は大きな大会を経験するチャンス減少の傾向もある。そのような現状を鑑みても、日本テニス界のホープと目される大坂に出場の機が与えられたのは必然だ。
全米OPのコートで始めたテニス
両親の仕事や子育ての環境を考慮し、親子4人が米国に渡ったのは、大坂が3歳の時。最初に移り住んだ街は、父親が学生時代を過ごしたニューヨーク。全米オープンの会場でもあるナショナル・テニス・センターのコートで、2歳年長の姉、そして父親と一緒にテニスを始めた。
父親はバスケットボールなどスポーツは好きだが、テニスを本格的にやった経験はない。母親も同様に、スピードスケートに打ち込んだ過去はあるが、テニスはほとんど門外漢だ。プロのコーチによる本格的な指導なども、16歳まで受けた経験はない。それにもかかわらず大坂は、10歳頃からテニスの世界で頭角を現した。