“シャラポワ2世”の夢はかなわず 新たな誓いを胸に刻んだブシャール

内田暁

完敗を喫した次代の女王

“次代の女王”と目されるブシャールだが、ウィンブルドン決勝ではクビトバに敗れ、惜しくも準優勝に終わった 【Getty Images】

 舞台は、これ以上ないまでに整っていた。あるいは、あまりに整い過ぎていて、現実になるには少々作為的だったかもしれない。初のグランドスラムタイトルを目指した、ウィンブルドンの決勝戦。次代の女王と目される20歳のユージェニー・ブシャール(カナダ)は、ペトラ・クビトバ(チェコ)に3−6、0−6で完敗を喫した。

 彼女は“ポスト・シャラポワ”もしくは“シャラポワ2世”と呼ばれている。シャラポワとはもちろん、女子テニス界が生んだ最大のスター、マリア・シャラポワ(ロシア)のことだ。彼女の端正な容姿とスター然とした立ち居振る舞いが、シャラポワをほうふつさせるのは確かである。そのシャラポワが17歳にしてウィンブルドンで衝撃的な優勝を果たしてから、今年でちょうど10周年。“シャラポワ2世”が先達の足跡をたどるには、最もふさわしい年であった。

 彼女は、2年前にこのテニスの聖地で“ジュニアチャンピオン”に輝いている。グランドスラムでは本選と並行し、同じ会場で18歳以下の選手たちによるジュニア部門も行われている。彼女はジュニアの頂点に立った時、栄光に身を浸す以上に「いつか、本大会でも優勝してみせる」との野心を強く心に刻んだ。

愛くるしい笑顔の下に秘められた野心

 彼女の、日本人には耳慣れない“ユージェニー”の名は、イギリス王家の“ヨーク公ユージェニー王女”の名にちなんだものだ。やや余談になるが、ブシャールの母親は王室マニアで、ユージェニーを含む4人の子供の名をすべて、欧州王家から取っているという。そんなブシャール家の物語は、英国メディアやファンの大きな共感を呼んだ。試合後の会見では毎回のように「誰が最もお気に入りのロイヤルファミリー?」「ロイヤルボックスに呼べるとしたら、誰に来て欲しい?」などの質問が繰り返される。ブシャールもそこは心得たもので、「もちろん、プリンセス・ユージェニーに来て欲しいけれど、それは無理よね」などと応じていた。ところが、世論の力とは恐ろしい。決勝戦には実際に、ユージェニー王女が現れロイヤルボックスで試合を観戦したのである。

 ブシャールはそれこそプリンセスのように、英国メディアから扱われた。彼女が決勝進出を決めた翌日には、地元紙『ザ・デイリー・テレグラフ』と『デイリー・メール』両紙の一面をブシャールが飾り、「プリンセス・ジェニーに声援を!」の見出しが躍ったほどだ。今や英国全土が、そしてテニス界全体がブシャールの“新女王戴冠”を待ち望み、その瞬間に向け着実に、物語と舞台をしつらえていくようであった。

 実際にブシャールには、その資質が十二分にある。周囲からの期待や運命を受け入れる、覚悟と野心も既に備えている。ブシャールの“王女様気質”を物語るエピソードはあまたにあるが、分けても1年半前に行われたインタビューでの応対が印象的だ。「憧れの選手は誰か?」と聞かれた当時18歳の少女は、「シャラポワがウィンブルドンで優勝した時のことは、鮮烈に覚えているわ」と言いながらも、「彼女のことを尊敬しすぎたくはない。だって将来、ライバルになるんだもの」と断じたのだ。「ツアーで仲の良い選手は?」と問われた際も、「仲の良い選手は数人いるけれど、友人はあまり作りたくない。だってすべての選手は、ライバルでもあるから」とも答えている。彼女は愛くるしい笑顔の下に、勝負に徹しきる修羅の顔を秘めていた。

 峻烈(しゅんれつ)な上昇志向とプロ意識はすぐに結果にも反映され、昨年1年間でランキングは147位から32位にジャンプアップ。今年に入っても成長曲線は急勾配の右肩上がりで、1月の全豪オープンでベスト4に進出すると、5月の全仏オープンでもベスト4。そして今回のウィンブルドンでついに、決勝にまで駆け上がってきたのだ。英国のプリンセスにあやかった名を持ち、女王になることを望まれた20歳は、テニスの聖地で戴冠の時を迎えようとしていた。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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