紳士的とは言えないレアルの経営哲学 デ・ヘア獲得失敗の背景

デ・ヘアを獲得し損ねたレアル

必要書類が期限内に届かなかったという理由でレアル・マドリーへの移籍が叶わなかったデ・ヘア 【写真:ロイター/アフロ】

 結局ダビド・デ・ヘアはマンチェスター・ユナイテッドに残り、少なくとも年末までレアル・マドリーのユニホームを着ることができなくなった。ロス・ブランコス(レアル・マドリーの愛称)は毎年決まって“銀河系”の選手補強をテーマとしたストーリーの創作に精を出しているが、今夏のそれは失敗に終わった。周知の通り、必要書類が期限内に届かなかったという理由で移籍を成立させることができなかったからだ。

 レアル・マドリーとユナイテッドは、チームの成績に加えてクラブの長者番付ランキング、ブランドイメージ、マーケティング、そしてビッグネームの補強に至るまで、あらゆる面でトップを争うライバル同士として鎬を削ってきた。その2クラブは今、スペイン、イングランド両国で皮肉いっぱいに伝えられた今回の不手際を巡り、お互いに責任をなすり付け合っている。

 どちらにより落ち度があったのかは分からないが、それ以前の問題として、レアル・マドリーにはイケル・カシージャスとの契約を解除して以降、デ・ヘアの獲得に動くための時間は十分過ぎるほどあったはずだ。

 チームの内情に関するうわさや茶番に振り回された末、長年クラブに貢献してきたカシージャスが精神的苦痛に耐えかねてクラブを去ることを決意したのは7月半ばのこと。そこから移籍市場が終了するまでには1カ月以上の猶予があったのだ。

 レアル・マドリーが8月31日までユナイテッドとの移籍交渉を開始しなかったのは、別に獲得の有無を迷っていたからではない。それは過去のビッグネーム獲得に際してフロレンティーノ・ペレス会長が何度も使ってきた、お世辞にも紳士的とは言えない常とう手段である。

ペレス会長の常とう手段

ペレスが会長に就任して以降、レアル・マドリーは毎年スター選手を獲得して“銀河系軍団”を作り上げている 【写真:ロイター/アフロ】

 ペレスが会長に就任して以降、毎年スター選手を獲得して“銀河系軍団”を作り上げるという方針を打ち出したロス・ブランコスがこれまで何度も使ってきた常とう手段。それはレアル・マドリーへの移籍を望む選手自身に強硬な態度をとらせることで、交渉先のクラブが選手の慰留を断念するよう仕向けるというものだ。

 だがそのようなやり方は、当然ながら相手クラブやその監督の怒りを買う原因になってきた。ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、デイヴィッド・ベッカムらの獲得時もそう。近年で言えばルカ・モドリッチやガレス・ベイルの獲得を巡り、トッテナムとの交渉がこじれにこじれた。

 ユナイテッドとの関係悪化はベッカムの移籍時に始まり、クリスティアーノ・ロナウドの獲得交渉を通して両者を隔てる溝はさらに深まった。当時監督兼マネジャーを務めたサー・アレックス・ファーガソンが、マイクを向けられるたびにレアル・マドリーへの批判を繰り返していた姿を記憶している人は多いのではないか。

 しかし、今回のデ・ヘアの件はそれ以上に度を超していた。レアル・マドリーは移籍期間をいっぱいに使うことで、デ・ヘアがルイ・ファン・ハール監督やクラブ幹部への不信感を募らせ、ユナイテッドに反旗を翻すよう仕向けた。さらには新たな正GKとして周囲の信頼を得始めていたケイラー・ナバスをトレード要員として差し出そうとまでした。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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