紳士的とは言えないレアルの経営哲学 デ・ヘア獲得失敗の背景

過去のようなハッピーエンドとはならず

デ・ヘア獲得のためにトレード要員として差し出されそうになったナバスは、クラブに不信感を抱いてしまった 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 だがそういった根回しの数々も、今回はすべて裏目に出る結果となった。交渉が不成立に終わっただけでなく、両クラブ内に2つの対立関係まで生み出すことになったからだ。1つはデ・ヘアがクラブ、監督、ファンなどユナイテッドに関わるすべてを敵に回してしまったこと。もう1つはデ・ヘアのそれほど深刻ではないとはいえ、レアル・マドリーがナバスに不信感を抱かせてしまったことだ。

 これからデ・ヘアはセルヒオ・ロメロと定位置を争わなければならない。ロメロはユナイテッドが自身の代役として獲得しただけでなく、以前からファン・ハールが厚い信頼を置いてきた選手である。

 一方、ナバスのレアル・マドリー残留については触れておくべきことがある。デ・ヘア獲得が失敗に終わった直後、レアル・マドリーは書類が期限内に送付されていたことを証明すべく戦おうとしていたのだが、その可能性がないと見るや態度を一転させ、ナバスを再評価するとともに彼の年俸を引き上げたのである。

 このようにペレスがその場凌ぎの取り繕いを行うのは、今に始まったことではない。ベッカム獲得の意思を問われた際の「ネバー、ネバー、ネバー」発言。ジョゼ・モウリーニョ最後のシーズンにカシージャスとセルヒオ・ラモスから監督交代を直談判された事実を否定したこと。カシージャスが涙を見せた退団会見には同席せず、数日後に急きょ退団セレモニーを行い温かく送り出したようなイメージを作ろうとしたこと。同様の例は過去にいくらでもある。

 スター軍団をまとめ上げ、多くのタイトルを獲得していたビセンテ・デル・ボスケ監督を「頭髪が薄く太り過ぎている」という理由で手放したり、チームの屋台骨だったクロード・マケレレを「ユニホームが売れない選手だから」という理由で放出したり。

 ペレスの支配下において、レアル・マドリーは10年以上も前から一般企業の経営メソッドをそのまま当てはめたクラブ経営を行ってきた。

 平行してチームは時に良い結果を、時に悪い結果を手にしながら、いずれにせよその時々に生じた問題を解決してきた。だがデ・ヘアを犠牲者とした今回の一件は、過去に創作した物語のようにハッピーエンドで締めくくることができなかっただけでなく、このクラブの経営哲学をこれまで以上に明示することにもなった。

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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