U−22日本が得た鎌田大地という可能性 「変わりたい」という思いで高めた個の力
母校凱旋に集まる注目の視線
U−22日本代表の合宿に初招集された鎌田大地(白)。鳥栖で結果を残す19歳に多くの注目が集まった 【川端暁彦】
「懐かしいというか何というか……」
鎌田にとって東山高校は愛すべき母校である。このグラウンドには彼自身の流した汗が染み込んでいる。ただ、卒業してわずか半年足らずであり、その記憶はまだ思い出になるほどではあるまい。戸惑う表情を浮かべる鎌田よりもむしろ、集まってきていたサッカー部員と学校関係者の視線が、「母校の星」にグイッと集まった様のほうが印象的だった。
もっとも、集まっていたのは母校の視線ばかりではない。このルーキーは加入したばかりのサガン鳥栖で着実に頭角を現し、印象的なプレーを見せ続けて今回の京都合宿で初招集に至った。1993年以降生まれの選手たちで構成されるリオ五輪代表にあって、96年度生まれの鎌田は最年少。加えて、「本田圭佑を超える」と題された記事が大きな注目を集めたこともあって、注目度は高かった。普段は鳥栖でプレーしているだけに、関東・関西の記者双方で鎌田の取材経験を持つ者が少なかったことも、報道各社の「鎌田狙い」を加速させていた。
「人見知り」な性格に不安も
「お前は一体、どういう教育をしているんだ?」
声の主は、かつて川崎フロンターレで監督を務めていた高畠勉氏である。現在はJリーグ・アンダー22選抜の監督を務め、Jリーグで出場機会のない選手のフォローアップに努めている。その彼が選抜に呼んだ鎌田の立ち居振る舞いを心配して、後輩に電話をしてきたのだ。福重監督は「悪いやつではありません。気持ちが弱いわけでもない。ただの人見知りなんですよ」と弁解に終始することになったのだが、その経験があっただけに今回の代表入りにも一抹の不安があったのだ。
「でも、あいつはずっと『変わりたい』と思い続けてここまで来たんです」
高校サッカーで変わったメンタル
「人見知り」という鎌田(右)だが、東山高校時代に仲間を思うメンタルを身に付けた 【写真は共同】
「僕が絶対に教えられないものを最初から持っていた。ボールを持つ姿勢、スルーパスの感覚……。技術的には何も問題はなかった。ただ、仲間を思う気持ち、仲間のために飛び込んでいく姿勢、そういうものが決定的に欠けていた」
サッカーはチームスポーツであり、大切なのは信頼関係。ただ、その基本が欠けていた。ただ、東山で過ごすうちに徐々にではあるが、確実に変わっていった。
「鎌田が言っていたことがあります。『ジュニアユース時代の自分はベンチから観ているときも淡々としていて、いざ出ていくときも自分が結果を出せばいいんだろうとしか思っていなかった』と。でも『高校サッカーでは違った。ベンチから出ていくとき、こんな自分をみんなが本当に懸命に応援してくれている。期待してくれている。あいつらのためにやらなあかんと思った』と」