強く賢く、戦えるキャプテン遠藤航 指揮官が信頼するアジアの厳しさを知る男
唯一3試合連続で先発起用
3連勝で予選突破を決めたU−22日本代表。遠藤は唯一3試合連続で先発出場を果たした 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
AFC U−23選手権予選(リオ五輪アジア1次予選)に臨んだU−22日本代表。その指揮官、手倉森誠監督は冒頭のコメントをほぼ有言実行。第3GKの中村航輔を除いた22人の選手を全3試合のどこかでピッチへ送り出した。
手倉森監督は何も愛情や平等主義でこうした選択をしたわけではない。酷暑のマレーシアという環境下で中1日の3連戦を行うという予選のレギュレーションに配慮して、勝つための選択としてターンオーバー制を採用。先発メンバーを目まぐるしく入れ替えながら、3試合を戦い抜いた。
ただ、体力の消耗を避けられるこの手法は、一方である種のリスクも内包している。たとえ実力的に遜色ないメンバーをそろえていたとしても、選手それぞれの個性や特長は違うもの。チームとしての連続性が断たれることで、思わぬ噛み合わせの悪さがあったり、純粋に連係面の練度の低さが非常事態を招く恐れはあった。サッカー界には「勝ったら、いじるな」という格言があるくらいだ。しかも1失点が致命傷になる可能性を持つ予選の戦いである。リスクヘッジが必要だった。
指揮官はその役割を最も深く信頼する男に託した。キャプテンマークも同時に預かることとなったのは、MF遠藤航(湘南ベルマーレ)。チームの心臓であるボランチの彼を3試合連続して先発起用することで、チームとしての連続性を確保する策を採用した。
群を抜く“運動効率”の良さ
酷暑の環境下でキャプテンとして中1日の3試合を戦い抜いた遠藤。“運動効率”の良さは群を抜く 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
遠藤はこの点について事も無げに言い放った。そもそも体力面に配慮してのターンオーバー策であるが、試合中のパフォーマンスを観る限り、3戦目で遠藤のパフォーマンスが落ちたと言う者はいないだろう。むしろ逆の印象を受けた記者すらいたほどだ。この点について遠藤は、「中1日で3試合を戦うということでフィジカル的な面もそうですし、どれだけ自分ができるのかを試したいと思っていました」とも言ってのけた。
ボランチとしてチームの舵取り役を攻守で担いつつ、キャプテンとしてチームメートの先頭に立ち、なおかつ中1日の3試合を戦い抜く。この重い負担について「良い経験でした」とさらりとかわした。
遠藤はこの大会で闇雲に走り回っていたわけではない。しかし果敢に攻めへ出つつ、後背のケアも怠らない運動量ならぬ「運動効率」は群を抜いており、しかも3試合でそれが落ちなかった。暑熱の戦いのポイントとして指揮官は「タフに戦う覚悟プラス、(試合を賢く戦う)コントロール力」を挙げていたが、まさにそれを体現した選手だったと言えるだろう。
遠藤については“U−22で最もA代表に近い選手”という声もあるのだが、縦への速さを希求するA代表のヴァイッド・ハリルホジッチ新監督のスタイルを考えても、確かに一理ある。湘南では3バックの一角を担うことが多いが、代表でボランチになっても違和感は皆無。両ポジションを高いレベルでこなせることも、他ならぬ手倉森監督自身を含めてA代表に推す声が出てくる理由だろう。
ピッチ内外で感じさせる“賢さ”
“コメント力”も高い遠藤。頭の回転の速さ、洞察力の高さをうかがわせる 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
記者の間でそんな冗談が交わされたことがある。選手は皆それぞれ言っておきたいことがあるものだし、記者にも聞きたいことがあるものだ。試合前後の囲み取材はそれをぶつけ合う場でもある。遠藤は、その場の“コメント力”で群を抜く存在だ。記者の聞きたいことを察する力と、自分の意見をしっかり持てる強さを兼ね備えているからこそだ。
U−22だと取材慣れしていない選手も多いし、単純にしゃべるのが苦手という選手もいるので、「1を聞いて0.5を知る」やり取りになりがち。どう引き出すかで記者の能力も問われるのだが、遠藤の場合は「1を聞いて1を知りつつ、もっと大事な2と3も教わる」ような形で、頓珍漢(とんちんかん)な質問が来たときのさばき方も安定感がある。要するに、頭の回転が速く、賢いのだ。洞察力があって、周囲を思いやる力もある。
プレーもクレバーだ。相手の攻撃の先を読んで、そこを断つ。そうした強さがある。初めて彼のプレーを認識したのは福島県Jヴィレッジでの日本クラブユース(U−18)選手権だったと思うが、すでに読みの良さと守備での粘り強さという彼の個性は際立っていた。いまよりずっと体も小さかっただけに、余計に際立つものがあった。16歳の遠藤を初めて年代別日本代表へと招いた大熊裕司氏(当時U−16日本代表監督。現・セレッソ大阪U−18監督)が「賢いんだよなあ。守備の仕方が面白いんだよ」と、その資質を高く評価していたのをよく覚えている。