U−22日本が得た鎌田大地という可能性 「変わりたい」という思いで高めた個の力

川端暁彦

高校時代、キャプテンに立候補

高校時代、鎌田(14番)は「変わりたい」という気持ちから自らキャプテンに立候補した 【川端暁彦】

 1年生のとき、鎌田は「もうサッカーを辞めようと思った」と振り返る。原因は高校サッカー選手権予選で東山は京都橘に大接戦の末に苦杯をなめた。その試合で鎌田は「ゴールまで2メートルのところのシュートを外してしまった」(福重監督)。ジュニアユース時代の鎌田であれば、もしかするとそれほど重みを感じなかったかもしれないが、そのときの心境は明らかに違った。

「俺が外して、先輩たちを引退させてしまったんです」(鎌田)

 それを機に、鎌田はまた少し変わったと言う。「でも、そのあとも“干す”(試合から外す)ことだってありましたよ」。福重監督は信念を持って鎌田に接した。怒られ続けるのは苦痛でもあったに違いないが、鎌田の根本にある「変わりたい」という気持ちが折れさせなかった。2年生になり、またも高校選手権予選で無念の敗退となって新チームに切り替わると、鎌田はキャプテンに立候補してきた。

「『自分が変わらないと、チームも変わらないと思うんです』と言ってきたんです。自分のウィークな部分を、あいつはよく分かっていました。正直、キャプテンというタイプではないですよね。100人の部員の面倒を見なくてはいけないウチのキャプテンを務めるのは、ハッキリ言ってしんどいですよ。それでもあいつは『やりたい』と言ってきた」

 高校の3年間で、その成長はもしかすると間に合わなかったかもしれない。選手権には3年間ついに縁がなかった。高校時代について問われて鎌田は「悔しい(という気持ち)しかない」と振り返ったのも当然だろう。ただ、福重監督は鎌田の「伸びしろ」も確信した。激しく走って戦うスタイルを特長とする鳥栖という進路を選んだのも、「自分に何が足りないのかを理解して選んだ。嫌なところをやらないとあかん。それを理解して選んだ道です」(福重監督)。「変わりたい」という気持ちが、ここでも鎌田の背中を押した。

能力の高さを見せるも、課題を露呈

鳥栖とは異なるスピード感のあるパスワークを目指す代表のサッカーに適応しきれない部分も感じさせた 【写真は共同】

 U−22日本代表の京都合宿。2日目から会場は東山高校から西京極陸上競技場へ移った。選手権予選で苦杯をなめた「嫌な思い出」(鎌田)が染み付いたその場所である。2日目の練習でさっそく個の能力を示した。1対1、3対3という個の力が露骨に出る練習では、ボールを持って鋭いシュートを放つ姿を何度も見せ付けた。ただ、3日目に練習が進むにつれて、人数が5対5になり、8対8になり、11対11へと移っていくと、徐々に存在感が消えていく。「ああいう速いテンポのパス回しのサッカーは東山でも鳥栖でもやっていない」と本人が語ったように、ゆっくりとボールを持つ(そしてそこに特長もある)だけに、代表が目指すスピード感のあるパスワークに適応しきれない部分も感じさせた。

 高校時代の鎌田に対する評価が真っ二つに割れていたのも、人見知りな性格とオフ・ザ・ボールでの動きの悪さが理由だった。パスが出て来ないのも、動き出しの悪さとコミュニケーションの問題の両面がある。最終日に行われた京都との練習試合では、鎌田が欲しいタイミングでパスが出て来ないシーンが何度もあった。

「僕としては受けられるタイミングなんですけれど、出す側からはそう見えないみたいで……」。別にフリーになりきらずとも、むしろ背負っているからこそできるプレーがあるという鎌田の感覚は、新しいチームメートには伝わっていないのだ。「背負った状態から前を向くのは得意なんです」と語ったが、それを出し手に伝える能力も、短い時間で連係を構築する必要のある代表では求められるスキルだ。

日本代表の武器になる「可能性」はある

手倉森監督(左)は鎌田を「可能性」と評した。ハリルホジッチ監督にはどう見えたのか 【写真は共同】

 機能はしていなかったが、能力の高さは何度も見せた。1−2で敗れた試合の唯一の得点も鎌田のアシストから生まれている。左サイドを破って上げたクロスボールに、ファーサイドでFW前田直輝(松本山雅)が合わせたもの。「ファーに走って行く選手が見えたので、GKを超えればいけるなと思った」とことも無げに言ったが、そこが「見えている」こと自体が鎌田の能力だ。

 手倉森誠監督はそんな鎌田を「可能性」と評した。厳しいアジア予選の戦いの場で使えるのか、使えないのかはまだ分からない。ただ、日本代表の武器になる「可能性」はある、と。

 合宿最終日、「最初に比べたら、しゃべれるようになりました」と笑った鎌田は、「改善するところが見えた合宿。ボールを持てばやれるけれど、それ以外のところをやらないといけないし、体の硬さも変えないといけない。食生活も改善しないといけないと思った」と言う。どうやら鳥栖の異才はまだまだ「変わりたい」と思っていて、それこそが鎌田の持つ「可能性」である。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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