“シャラポワ2世”の夢はかなわず 新たな誓いを胸に刻んだブシャール

内田暁

試合時間わずか55分……あまりに強かったクビトバ

持ち前の攻撃テニスで快進撃を見せていたブシャール。しかしこの日のクビトバは、あまりに強かった 【Getty Images】

 チャーミングな笑顔がトレードマークのブシャールではあるが、彼女のプレースタイルは力強く、泥臭さを感じさせるほどである。持ち味は、勝ち気な性格をそのまま反映させたかのような、ボールの跳ね際をひっぱたく攻撃テニス。今大会の準決勝で対戦したシモーナ・ハレップ(ルーマニア)は「彼女は身長はそこまで高くないが、ベースラインから下がらず前に入って打ってくるので、実際よりも大きく見えプレッシャーを感じる」とライバルの強さを説明した。「打ってくるコースが読めない」というのも、対戦相手がよくこぼす言葉である。ボールの落下地点にガッシリと腰を据え、腰を捻じるようなテイクバックから、どのアングルにも強打を打ちこんでいく――それがブシャールのテニスであり、その攻めの姿勢に鋼の精神力が芯を通す。球足の速い芝のコートがそんな彼女の背を押して、決勝までの道程でブシャールは、1つのセットも落とすことなく白星を6つ連ねていた。

 しかし決勝で対したこの日のクビトバは、あまりに強かった。3年前の同大会チャンピオンは、「自分でも驚いた」と認めるほどの圧巻のパフォーマンスで、立ち上がりから若い挑戦者を圧倒する。ブシャールに、初の大舞台に立つ者特有の緊張感や堅さは見られなかった。自分のテニスを信じ、攻めの姿勢を貫いたが、その上を行く相手のプレーに次々ポイントを失っていく。1万5千人の観客の多くはブシャールの側についたが、その声援も徐々に落胆のため息に変わっていった。試合時間は、わずか55分。勝者がコート中央で誇らしげに観客に手を振る間、ブシャールはベンチに腰を沈め、うつむきジッと地面を見つめていた。

胸に刻んだ新たな誓い

 テニス大会の表彰式とは、残酷だ。うなだれるブシャールの背に、素早く係員が駆けより表彰式の段取りを事務的に伝えていく。敗者は失意を洗い流す暇もなく、係員の言葉にうなずき、促されるままに一度コートを後にした。

 コート上でセレモニーの準備が進む間、彼女は案内された部屋の椅子に腰をかけ、ジャケットを肩に羽織る。そうしてふと顔を上げてみると、そこは、優勝者の名を彫る彫版工の部屋であった。彼女がこうべを垂れるその目の前で、彫刻師たちは生まれたばかりの新女王の名を、プレートに淡々と刻んでいく。それは、きらびやかなウィンブルドンの格調を支える裏の顔であり、安易なフェアリーテイルやお姫様物語とは相いれない、リアルで残酷な世界である。

「いつの日か……私の名前をここに書いてやる」

 表彰式が始まるまでの数分間、表からは見えぬ一室で、彼女は新たな誓いを胸に刻む。
 彼女は、“シャラポワ2世”でも“プリンセス・ユージェニー”でもない。アイルランド系の血を引く世界7位のカナダ人テニスプレーヤー、ユージェニー・ブシャール。その名は近い将来、オールイングランド・ローンテニス&クローケクラブの、優勝者プレートに刻まれることだろう。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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