「俺のこと、そんなに信用できないの?」ラモス瑠偉とも“戦う”プロ意識 | ヴェルディと駆け抜けた30年【後編-2】
竹中百合 強化部アドミニストラティブマネージャー 【©️TOKYO VERDY】
<後編>
選手とフロントはお互いにプロとして常に戦っていた
Jリーグの人気に火がつき、当時、入手困難とまで言われた観戦チケットは、所属選手であっても容易く手に入れることはできなかった。当時は選手が購入できる枚数にも限りがあり、また時代的にも給与から差し引くシステムではなく、クラブが選手から現金で直接回収する方法を採っていた。そのため、なかなか現金を用意してこない選手もいて、その都度、フロントスタッフは催促することがあった。
選手も虫の居所が悪かったのだろう。あまりに要求されることから、ある日、フロントスタッフに向かって、お金を地面に叩きつけたのである。
そのお金を黙って拾ったスタッフは、選手に突き返してその場から立ち去った。その後、音信不通となり業務をボイコットした。クラブは仕事が回らなくなり、選手はクラブから諭される結果になった。
「ただ、選手の言いなりになるのではなく、それだけフロントスタッフもプライドを持って選手と接しているということを、私自身も強く感じる出来事でした」
一方、選手たちもまた、プロとしての強い自覚と意識を持っていた。あるフロントスタッフが、選手にサインをお願いした。そこで選手は用途を尋ねたのである。
「これは何のためのサインなの?」
フロントスタッフが説明できずにいると、選手は言った。
「何に使われるかもわからないものに、サインすることはできないよ」
竹中は言う。
「選手たちは、自分の一つひとつがお金になり、ビジネスになることを分かっていたんです。だから、理由もわからずに、何かをすることを嫌っていました。その代わり、きちんと内容や詳細を伝えて、理解してくれれば、プロなので基本的にはしっかりとやってくれる。だから、面倒でもその手間暇と、行程を省いてしまってはダメなんですよね」
ラモス瑠偉が相手であっても目を背けずに戦った
カズは言った。
「ごめん。練習が終わったばかりだから、100%のオレンジジュースを持ってきてほしい」
そう言われてオレンジジュースを差し出すと、すぐに飲み干したため、2杯目を注ごうとすると、再びカズに声を掛けられた。
「カロリーオーバーになってしまうので、水にしてほしいな」
驚くのはそれが30年近く前、Jリーグ開幕当初だったということだ。当時の竹中は、まだ選手との会話や交渉が許されていない時期で、選手の情報もニュースや週刊誌で得ることのほうが多く、良からぬ記事を目にする機会もあっただけに、その考えを改める契機になったという。
フロントが選手と対等の立場であり続けられるように戦っている姿を、背中を、ずっと見てきた。だから、竹中も広報になったときには、目をつぶることなく、目を背けることなく戦った。それがあのラモス瑠偉であっても……。
竹中が広報になって、まだ間もないころだった。テレビ局の取材を受けることになっていたラモスが、ちょっと目を離した隙に帰宅し、取材をエスケープしたことがあった。
「あれは絶対に確信犯でしたね(笑)。私はテレビ局の取材陣に平謝りして、翌日必ず取材できるようにしますと約束して、もう一度、来てもらったんです。そのときは、練習のときから目を離さず、トイレに行くときも扉の前に立って待っていました。今日は絶対に逃がさないって、もう根性でしたよね(笑)」
ラモスから「いい加減にしてよ。俺のこと、そんなに信用できないの?」と言われたときも、はっきりと告げた。
「(信用)してません!」
プロとして接するからこそ、選手からの信頼感も厚い 【©️TOKYO VERDY】
選手に向かって放った「ヴェルディの看板を背負っている」の言葉
「広報になったばかりのころから個性の強い選手たちと接して、戦ってきたので、そのあとは楽だったかもしれないですね」
車のサンルーフからゴミを投げ捨てた選手を見たときは、そのゴミを拾うと、走って追いかけ、サンルーフに投げ返した。その選手が車を止め、怒鳴ってきたときには、こう言い返した。
「外にゴミを捨てるな! あなたはヴェルディの看板を背負っているんでしょうが!」
自分の電話に出ない選手がいたときには、その選手から別の機会に着信があっても、わざと反応しなかった。「何で電話に出ないんだよ」と言われたときにも、こう言い返した。
「私はチームの用事があるときしか、連絡しないよね? それなのに、あなたは電話に出てくれなかった。だから私も同じことをしただけ」
ただし、そうやって戦った選手はみな、同じことを繰り返さなかったという。竹中の選手を思っての言葉は、いつのときも選手の心に刺さったのだろう。
「面白いことに、連鎖反応が起こるんですよね。若手選手のときにやり合った選手が、いつか先輩になって、背中を見せるようになっていく。挨拶できなかった選手が、挨拶ができるようになっていくし、それを見た後輩もその姿勢にならっていくんです。また、それを行っているのは、私だけではなく、アカデミーも含めたコーチ陣みんなもでした。選手と対話することを惜しまない人たちをたくさん見てきたので、私自身もそこは惜しまないようにしようと思ってやってきました」
そう言って、竹中は再び30年前を思い起こす。
「入社したばかりのころ、先輩から、選手はサッカーのプロかもしれないけど、俺たちは社会人のプロでもあると言われたことがありました。だから、俺たちは選手にとっての社会常識の手本でなければいけないんだって」
スターと呼ばれる選手とも対等であるために戦っていた上司、先輩たちから言われた金言は、今も心に残っている。
「その選手が活躍するためにできることは、できるだけ叶えてあげてほしい。でも、そこにはわがままと正しい要求がある。わがままは絶対に許してはいけない。でも、それが正しい要求であると思ったのであれば、クラブは全力を尽くしてあげるべきだ」
そして、こうも言われていた。
「我々がヴェルディである限り、そのとき、最も新しいこと、過去に例がないものをやろう。常に先駆者であろう」——と。
自身も先駆者であった竹中は言う。
「自分自身に強くあれと言われてきたので、それは今の選手たちにも伝えています。あとは新しいことを追い求めろというのと同じように、個性を大切にしなさいとも言われてきました。だから、私自身も何でもかんでも、品行方正が正しいとは思っていなくて、それが認められる、認めてくれるのもこのクラブの魅力だと思っています」
ありのままをさらけだしても人として認めてもらえる土壌
「きっと新しいことをゼロからはじめることのほうが楽なところもあると思うんですよね。ある程度、できあがったものを続けていくには、さらにパワーが必要になります。それも同じことを続けていけばいいわけではないので、壊すくらいの力が必要になる。あとは、何とかしてスポーツの地位を上げたいと、選手たちとも話しています。勉強ができる子と、スポーツができる子が同じくらいのイメージを持ってもらえる社会にしたい。だって、東大生になるより、Jリーグの選手になるほうが難しいと思うんですよ。ヴェルディもベレーザも、そこにチャレンジしていかなければいけないと思っていますし、そうなったとき初めてスポーツは文化として根付いたと言えるのかもしれないですね」
30年経ったからこそ変えていかなければならないこともあれば、30年築いてきたからこそなくしてはいけないものがある。ヴェルディとベレーザにとって、それは——。
「他と違うクラブ、他と違う選手たちでいてほしいなと思います。何でもかんでも品行方正が正しいわけではないと言ったように、すべてが右へならえではなく、個性を伸ばしてほしいなと思います」
自然と、未来を担うアカデミーの話題になった。
「私が接してきた、アカデミーで育った選手たちに共通しているのは、嘘をつかないところなんです。それはなぜかというと、自分のありのままをさらけ出しても、人として、選手として認めてもらえる土壌がここにはあるからです。世の中的にも、いい子や優等生が良しとされる傾向が強くなっていますけど、ダメなところや欠点も含めて個性として認める懐の深さがこのクラブにはある。そこは失わないでほしいですよね」
Jリーグが開幕した1993年——初代王者に輝いたヴェルディの選手たちは、眩しいくらいの個性を放っていた。その個がそれぞれの欠点を補い、そして互いの特徴を生かして、強烈な輪になっていた。その緑の血は今も——ヴェルディ、ベレーザ、そしてアカデミーにも途切れることなく、流れている。
文・原田大輔/写真・近藤篤
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