イチロー流 球児へ「守備編」
日米通算4367安打を積み上げ、2025年1月に日米の野球殿堂に選出されました。
走攻守のすべてで日米のファンを魅了したイチローさんは、一流の技術をどのように伝えているのでしょう。
2024年11月にあった大冠(大阪)、岐阜(岐阜)と母校の愛工大名電(愛知)での指導の詳細を紹介します。
3回目は「守備編」です(全4回)。
「指にかかるボールを投げることが大事」
まずは30メートルくらいの距離でしっかりと指にかかるボールを投げることが大事。長い距離は、それができるようになってから。
低く強い球を意識して、形を崩さずにキープできる距離を見つけること。
フライは「両手より片手で捕球したいね」
ゴロ捕球の瞬間は左足と右足、どちらが前でもいい。グラブ側の足を引いて捕ることはしないように。グラブは必ず立てて、上からは捕球面が見えないように意識して。はじいてしまった時は二塁、三塁に走者を行かせない次の動きが大事。
構えは盗塁の形と一緒。打球判断も走塁の時と同じで、止まった状態ですると劇的に簡単になるよ。打球判断に迷ったら動かずに、重心を落として判断、その後は一気に落下地点へ。
「野球は繊細な競技、力だけじゃないからね」
体を大きくすることが目的のトレーニングはバランスを崩しかねない。パフォーマンスを下げてしまうリスクが高い。野球は繊細な競技、力だけじゃないからね。
イチローさんと高校野球
20年秋に行った講演では、次のように語っています。
「高校野球は『野球』をやっている。大リーグは『コンテスト』なんです。どこまで飛ばせるかとか。野球とは言えない。高校野球にはそれが詰まっているんです。めちゃくちゃ面白い」
「僕はプロ入り前の野球にすごい興味がある。高校野球とか学生野球の指導者には、そんなにプロ経験者はいません。野球人としてこれから(野球界に)何かお返しできたらと思っています」
球児への指導は、20年12月の智弁和歌山を皮切りに、21年は国学院久我山(東京)、千葉明徳、高松商(香川)、22年は新宿(東京)、富士(静岡)、23年は旭川東(北海道)、宮古(沖縄)、24年の大冠(大阪)、岐阜、母校の愛工大名電(愛知)と、これまでに11校を訪れました。
訪問先は学校側の要望や部員からの手紙をきっかけに、決めていました。
22年の新宿と富士については、ともに地域の小学生らを対象に野球の普及にも熱心に取り組んでおり、その活動に関心を持ったイチローさん自ら、訪問を決めました。
イチローさんは「今後もそれぞれのスタンスで野球に取り組んでいる高校生たちと一緒に野球をやってみたい」と話しています。
イチローさんの歩み
1973年10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高(愛知)から91年秋のドラフト4位でオリックスに入団し、94年から7年連続で首位打者を獲得した。
1月に阪神大震災が起きた95年は「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝、翌96年は日本一に大きく貢献した。
2000年オフにポスティングシステムを利用して大リーグのマリナーズに移籍し、01年に首位打者、盗塁王を獲得してア・リーグMVPに。04年に262安打で大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。01年から10年連続シーズン200安打。
12年途中からヤンキース、15年からマーリンズでプレーした。16年には大リーグ史上30人目、日本選手では初となる通算3000安打を達成した。18年にマリナーズに復帰し、19年3月に引退。25年、資格初年度での日本の野球殿堂入りに続き、日本人初の米野球殿堂入り。右投げ左打ち。
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