【女子ボクシング】日本バレーボール協会職員、大学病院の看護師、元ボートレーサー志望――経歴もさまざまな彼女たちが戦う理由
こんなに楽しいことに初めて出会っちゃった
日本女子アトム級1位の渡邉恵。日本王座決定戦出場のチャンスをうかがう 【写真:船橋真二郎】
「なんで、こんなこと始めちゃったんだろう……」。デビュー戦の控え室で8オンスのグローブをつけられているときだった。現実を前に逃げ出したい思いに駆られた。が、もう逃げられない。
意を決して上がったリングで3回TKO勝ち。応援してくれた人たちの喜ぶ姿とともに「生きてきて、こんなに嬉しかったことはない、ぐらいの嬉しさ」がこみ上げてきた。
あれから3年半。自分ではない自分になる「リングの上の高揚感」に惹きつけられてきた。中学時代の剣道部は幽霊部員。高校時代のバスケットボール部は1年夏で退部。振り返ると何かに熱くなることも、頑張ったこともなかった。
「こんなに楽しいことに、大人になって初めて出会っちゃった、みたいな感じ」と照れくさそうに笑った。
新潟県十日町市の出身。東京の大学を卒業し、神奈川県下の不動産会社に勤務。当時は平塚にあったジムにフィットネス会員として入会したのが始まりだった。
ジム主催のスパーリング大会に出るなど、少しずつ競技としてのボクシングに興味を持つようになる。ジムで知り合った友人が記念にプロテストを受けることになり、一緒に受験することになった頃、ジムの都内への移転が決まった。
選択を迫られ、「人生1回きり」と決断。都内に転居し、転職して事務職から営業、そしてプロボクサーへ。ガラリと人生が変わった。
ここまで無敗だが、9戦中6分。5戦続けて引き分けたときは「心が折れかけた」が、「1戦1戦、自分の成長は感じていた」という。
平塚時代から見てきた「(松田)エリちゃんが高みを目指して努力する姿」に「自分ももっと上を目指して頑張らないと」と引っ張られてきた。
見据えるベルトはかつて松田が持っていたベルトでもある。「ただ獲れればいいわけじゃなくて、チャンピオンに相応しい勝ち方をしたい」と自身を高め続ける。
何かを成し遂げたい、生きてきた証を残したい
日本女子アトム級13位の守隨あゆみ(右)と元東洋太平洋バンタム級王者の鳥海純会長 【写真:船橋真二郎】
「2025年には負けなしでタイトルを獲ろうと思います」ときっぱり宣言。「このチームにいる限り、ベルトは必需品」。この道を示してくれたチームメイトの背中を追う。
東京都品川区の出身。東京都市大学を卒業し、不動産会社に就職。25歳になった頃、体重が10キロぐらい増えた。最初に始めたのはキックボクシング。のめり込むタイプで誘われるままK-1アマチュアの大会にも出たが、あくまでフィットネス感覚だった。
自宅の近所に移転オープンしていたTEAM10COUNTジムに体験に行ったことが転機になる。鳥海純会長の音楽に合わせたレッスンに“効果”をより感じた。
入会からほどなく、デビュー戦を控えた渡邉の対人練習を頼まれ、プロの練習時間に加わった。選手たちの姿と接し、意識が変わる。
「さらに上、さらに上って、トップを目指す向上心は尊敬しかないですし、自分もこうなりたい、この人たちと同じところを目指したいと思わせてくれました」
5歳で水泳を始め、友だちと遊ぶこともないぐらい練習に明け暮れた。全国大会にも出場したが、オリンピックを目指すようなトップ選手との差は歴然としていた。
「JKを楽しみたい」と高校1年で一度は区切りをつけた。大学の水泳部にマネージャーとして入るつもりが、請われて選手に復帰。強豪ではない理系の大学で仲間と充実した4年間を過ごし、水泳を締めくくれた。
それでもボクシングと出会い、湧き上がってきたのが「自分の人生、何も成し遂げてない」という思いだった。
順風なスタートに見えて、遠回りをしている。デビュー前、痛みを抱えていた両手首の骨折が判明。手術と治療に1年を要した。傷心の守隨を励ましたのもチームメイト。「一緒に何かを成し遂げたい、生きてきた証を残したい」と思いを強くした。
ボクシングに明け暮れる日々に迷いはない。「出会っちゃったものは仕方がない」と晴れやかに笑う。
「みんなと出会った運命に感謝して、突き進むだけ。今しかできないし、この出会いを楽しんだほうが自分の人生、彩り豊かかなと思ってます」