【女子ボクシング】日本バレーボール協会職員、大学病院の看護師、元ボートレーサー志望――経歴もさまざまな彼女たちが戦う理由
やりたいことを思い切りやれている今が幸せ
日本女子フライ級1位の福家由布季(左)と丸山有二トレーナー(2024年1月12日) 【写真:船橋真二郎】
リングの上ではガンガン攻める攻撃型のファイター。が、「普段の自分は前に出て、目立ちたいタイプでもないし、熱くなるようなこともない」と苦笑するように、穏やかな雰囲気とのギャップは大きい。
実家は滋賀県大津市の観光名所としても知られる古刹・三井寺。仏教系の龍谷大学に進んだが、これは柔道のためだった。小学2年から柔道一筋。大学時代はヒザにケガを抱えながらもやり通した。が、ずっと目標にしてきた“日本一”と自身の結果には隔たりがあった。
転機は東京で働き始めて3年目。営業職から事務職に移り、終業後に時間ができた。同じ時期、当時住んでいた府中に元ライト級王者の荒川仁人さんがフィットネス専門の「ジャパニーズロッキージム」をオープンする。格闘技全般、見るのも好きで以前から興味があった。
熱心に通うようになると「プロでやりたいなら、ジムを紹介するよ」と荒川さんに声をかけられる。20代半ばの「今からでも全然、遅くない」の言葉に心が動いた。
「柔道は自分が決めた道で、自分にできることはやり切ったから、そこに一切、後悔はないですけど、結果を残せなかったことだけが心残りで。叶えられなかった目標をまた目指せるんじゃないかと思ったら、気持ちが蘇ってきました」
「がむしゃらにできるって、こんなに楽しいんだ」。大学の最後はケガで制限がある中での競技生活だった。「全力で練習して、全力で試合して、全力で目標を目指せるのが嬉しい」――。
会社は退職。ジムの近くに引っ越し、ボクシング中心の生活を送る。「チャンピオンになれないままでは、“一番”になれなかった柔道と同じになるから辞められない」。
もともと料理やお菓子作りが好きで飲食系のアルバイトを2つかけもち。収入は大幅に減ったが「やりたいことを思い切りやれている今が幸せ」と満面に笑みが広がった。
人生で一番、専念できているのが嬉しい
TEAM10COUNTジムの女子選手たち。左から1月21日に初防衛戦に臨む東洋太平洋女子アトム級王者の狩野ほのか、松田恵里、守隨あゆみ、和田まどか、渡邉恵(2024年12月16日) 【写真:船橋真二郎】
天職と巡り会ったと言ってもいいだろうか。生まれ育った世田谷区の自宅からジムのある品川区西小山まで、往復1時間の道のりを自転車で通う。
中間地点にある空手道場に併設された低酸素トレーニングルームがアルバイト先。週2、3回はここでトレーニングも行う。食事は高タンパクの主菜を中心に毎回、ほぼ同じものを食べる。そんな日々を月曜から土曜まで繰り返す。
「自分でも異常だと思います」と苦笑い。ボクシングの魅力は? という問いには首を傾げつつ、「この生活がまったく苦じゃない。それが答えなのかな」と言った。
兄が所属し、父親がコーチを務める少年野球チームで、男の子と一緒にボールを追いかけ始めた5歳のときから、スポーツ選手になりたいという思いを抱いてきた。
女子の硬式野球部のある私立の中高一貫校に入学したが、厳しい上下関係に中学1年の途中で挫折。早稲田大学に女子の野球部があると知り、推薦で進学。ようやく本格的にプレーした。が、理工学部の勉強についていけずに3年で中退する。
次に挑戦したのがボートレーサー。難関の競艇学校の試験を2回受け、1回は最終試験に進む。適性検査で水上を疾走するスピード感も味わい、3回目を目指した。ところがトレーニングのつもりで地元のボクシングジムに通い始めると「競艇を忘れるぐらい」ハマった。
唯一の黒星は現・IBF世界アトム級王者の山中菫(真正)に痛烈なTKO負けを喫したもの。そのときスパーリングを重ねた松田を頼り、ジムを移籍。女子の練習相手が豊富で、切磋琢磨できる環境に身を置いた。
野球、競艇と「中途半端な自分が嫌だった」。ボクシングと出会い、「人生で一番、専念できているのが嬉しい」という。チャンピオンになっても「このジムの上の2人(松田、和田)と比べたら、まだまだだな、と思わされるんです」と目を輝かせるのである。