和田毅&斉藤和巳が振り返る“ホークス4本柱時代”「和巳さんはラスボス」「お前らがいなかったら…」
「ラスボス」を目標に頑張った4本柱時代
2000年代にホークスの先発4本柱として活躍した和田毅さん(右)、斉藤和巳さん(左から2人目/左端は杉内俊哉さん) 【写真は共同】
和田 僕の中では、和巳さんは既に自分たちとは別次元にいるイメージでした。僕がスギ(杉内俊哉)と渚(新垣渚)とで争って、抜けた人が和巳さんという「ラスボス」に立ち向かうみたいな。
斉藤 何で俺が倒されなあかんねん(笑)。
和田 3人の中で抜けた人が和巳さんへの挑戦権が与えられるみたいな。よくメディアで4本柱の名前が出る時、必ず和巳さんが先頭だったんです。
斉藤 それは年齢もあるでしょ。
和田 あるかもしれないですけど、「斉藤-杉内-新垣-和田」とか「斉藤-杉内-和田-新垣」とか、その年によって並びが変わるんですよ。
斉藤 なるほど。でもこの3人の中で渚が2番目に来ることはなかったやろ?
和田 渚はなかったですね(笑)。あ、最多奪三振を取った2年目(2004年)は渚が2番目だったかも…。
斉藤 そんな並びを意識したことがなかったな。
和田 どうすればこの並びで和巳さんを下に落とせるんだろうと。自分の名前が2番目にあると「今、僕が和巳さんに挑戦権がある。和巳さんよりいいピッチングをしよう」と考えていました。でも和巳さんが揺らぐことはなかったですね。
斉藤 そういう視点がワッチらしいよな。
――ラスボスの意外な一面は?
和田 和巳さんはとにかくストイック。1イニングごとにロッカーに戻ってきて、しっかりと3者凡退で抑えているのに、ロッカーで「これじゃあかん、これじゃあかん」とブツブツ言っているんです。普通にナイスピッチングなのに、なんでこんなに不満なんだろうと(笑)。
斉藤 俺の中で相手バッターだけでなくて、相手チームも圧倒して勝ちたいという気持ちが強かったから、アウトの取り方だったり勝ち方だったり、一つひとつこだわっていくと納得がいかないことが多くて。俺はそれが毎回あるだけ。
和田 やっぱりラスボスですよね。和巳さんは練習する時もバッてすぐに(スイッチが)入りますよね。
斉藤 そうやね。自分で怠け者と分かっているから。一回気が緩むと、とことん緩んでしまうのが怖いから。自分でオンとオフをはっきりさせないと。
和田 和巳さんはポール間を走る時に10本と決めて、インターバルの秒数を早くして走っていましたよね? 当時は55秒〜60秒のインターバルでしたけど、和巳さんは40秒〜45秒で走っていたかと。「何秒で走っているんだろう?」と数えたことがあって。
斉藤 よく見ているね~(笑)。40秒だよ。ワッチは10本のところを14本、16本と走っていたけど、俺はちょっとしんどいし、「量より質や」と思ってインターバルの秒数を重視するようにしたのよ。14本〜16本を1、2カ月続ける自信はないなって。やると決めて、途中でしんどいからやめるということはしたくなかったから。それなら本数は一緒でインターバルを短くしたらいいと思って、10本でも40秒でやっていた。だから俺がそうしたのも、ワッチが原因やで(笑)。
和田 僕は和巳さんがそうやっていたのを知っていたので、和巳さんから何かを学ばないといけないなと思っていました。僕も年齢が行ってからは本数を増やすときつくなってきたので、秒数を早くしました。インターバルを短くしていった方が早めに練習を終えられますしね。
斉藤 本当によく知っているな。俺のインターバル(笑)。
<第2回につづく>
動画では2人のトークを余すことなく公開!
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