石川祐希から続く中大→イタリア派遣 「ずっと行きたいと思っていた」舛本颯真らが誓う海外での成長

田中夕子

短期海外派遣でイタリアの3クラブに合流する(左から)舛本颯真、土井柊汰、坂本アンディ世凪 【写真:田中夕子】

「Ciao a tutti!」

 イタリア語で「みなさんこんにちは」。前日から用意していた言葉を披露すると、舛本颯真は顔を赤らめた。

「会見が始まってからずっと緊張していたので手汗がすごくて(笑)。忘れないように、ずっと口に出していました」

 12月20日、中大で行われた男子バレーボール部とハンドボール部の合同記者会見。卒業後にSVリーグのウルフドッグス名古屋、日本製鉄堺ブレイザーズに入団が決まった4年生の4選手の会見に続き、中大バレー部から短期海外派遣でイタリアの3クラブに合流する3選手が並んだ。

 冒頭のあいさつは、やや緊張した面持ちであいさつを求められた舛本の第一声だった。

「こんなチャンスは二度とないかも」

 鎮西高校のエースとして春高で活躍。しかも2、3年時は決勝進出を果たしどちらも2セットを取ってから逆転負けを喫するという劇的な結末も重なり、高校バレーボールファンにとって、舛本は記録だけでなく記憶にも残るエースだった。

 卒業後は中大へ進学、高校時代からの膝の負傷もあり1年時は出場機会が限られたが、2年になった今季はアウトサイドヒッターとしてレギュラーに定着。春季リーグでは9年ぶり、東日本インカレは7年ぶりとなる優勝にも貢献した。

「将来は日本代表でプレーするような選手になりたい」と高校時代から夢を語ってきた舛本にとってのもうひとつの夢は、海外でプレーする機会を持つこと。中大進学時にも「海外派遣のことは頭にあった」と振り返るように、舛本にとっては待望の機会でもあった。

「ずっと(海外に)行きたいと思っていたけど、本当に自分が行けるとは思っていなくて。そもそも海外へ行くこと自体が人生で初めてなので、どういう生活をすればいいのか、日本語が通じない中でどんなふうに過ごせばいいのか……不安もあります。でも親からは『こんなチャンスが来るのは二度とないかもしれないから頑張りな』と言われて、本当にその通りだな、って。バレーはもちろんですけど、いろんな選手、いろんな人とコミュニケーションを取りたいです」

 むしろそれこそが自分の課題。舛本が続ける。

「バレーの面で言えばサーブレシーブの強化や、(スパイクの)ブロックアウトの技術を磨きたい。でも一番自分に足りないのはコミュニケーション能力だと思っているので、イタリアでコミュニケーション能力も磨きたい。人前で自分の本音を伝えることも今はなかなかできていないので、日本に帰ってきたらチームの中心になれるような声かけができる選手になりたい。帰ってきたときに改めて、自分の目標も見つけたいです」

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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