韓国を圧倒した大谷翔平の快投も、壁を感じた“国際大会の準決勝” 松田宣浩が振り返る「第1回プレミア12」

田尻耕太郎

2015年に行われた第1回プレミア12、準決勝の韓国戦で好投する大谷翔平とタッチを交わす松田宣浩さん 【Photo by Masterpress/Getty Images】

 いよいよ今日(11月9日、現地時間)、野球の国際大会「第3回プレミア12」が幕を開ける。WBSC(世界野球ソフトボール連盟)世界ランキング上位12ヵ国が招待され、日本は2015年に開催された第1回大会でベスト4、19年の第2回大会で初優勝を遂げている。

 選手として全盛期を迎えていた2010年代、このプレミア12に2度、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)にも2度出場するなど、さまざまな国際大会を経験してきた松田宣浩さんに、大谷翔平(ドジャース)や松井裕樹(パドレス)、前田健太(タイガース)など、後のメジャーリーガーが多数出場した第1回大会を振り返ってもらった。

韓国との初戦に勝利した日本代表の面々が試合後にハイタッチを交わす 【Photo by Atsushi Tomura/Getty Images】

――2015年に初開催された第1回プレミア12は、大会前は世の中の認知度もそれほど高くなかったと思います。一人の野球選手としてはどのように受け止めていましたか?

 もともと野球の国際大会といえばWBCとオリンピックがありましたが、後者は2008年の北京五輪後に一旦正式競技から除外となりました。野球の場合、国を背負う大会というのは、サッカーなどに比べれば少ない。そんななか、新しい野球の国際大会としてプレミア12が誕生すると聞いたのですが、最初は正直、どのような大会なのか分からなかったです。

 だけど僕自身としては、日の丸をつけられるチャンスが増えたというのが嬉しかった。これからきっと、長い歴史を積み重ねていくプレミア12の第1回大会に選んでいただき、出場できて本当によかったと思っています。

――メンバーは若手主体で、当時32歳の松田さんが中村剛也選手(西武)と並んで最年長。今振り返ると、そうそうたる顔ぶれですね。

 中村選手とか、年齢が上の選手で、みんなでとにかく引っ張って頑張ろうと思っていました。

――当時のメンバーを見ると、後のメジャーリーガーが大勢います。

 松井裕樹投手(当時楽天)、前田健太投手(当時広島)、大谷翔平投手(当時日本ハム)、澤村拓一投手(当時巨人)、牧田和久投手(当時西武)がいて、野手は秋山翔吾選手(当時広島)、筒香嘉智選手(DeNA)か。濃いメンバーですね。

――大谷選手のことで覚えていることはありますか?

 その時から凄かったですし、とにかくもう野球が好き。あの大会ではピッチャーだけの“一刀流”でしたが、僕はサードを守っていて「速い球を投げるな」と驚きました。

――代表はいわゆる急造チームです。キャプテンは嶋基宏選手(当時楽天)でしたが、小久保裕紀監督から松田さんはリーダーに指名されていました。

 はい、小久保監督に直接言われました。チームを引っ張ってくれよ、と。もちろん僕もそのつもりでした。ホークスでは元気を出して、ムードメーカーとして頑張ることで周りに認めてもらっていたので、侍ジャパンだからそれをやらないというのは、僕は間違っていると思いました。

第1回プレミア12で侍ジャパンを指揮した小久保裕紀監督 【Photo by Masterpress/Getty Images】

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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