五輪でのメダルラッシュ後も歩みを止めない日本フェンシング界 全日本選手権を経て芽生えた新たな道筋

田中夕子

「もっと強くなりたい」という思い

パリでのメダルラッシュ後も歩みを止めないフェンサーたち 【(C)日本フェンシング協会】

 オリンピックに出れば、メダルを獲れば人生が変わる。さまざまな場で聞く言葉だが、実際にそうかといえば疑問符がつく。オリンピックに出て、最高の成績を収めたとはいえ、その後の競技生活や取り巻く環境が劇的に変わるわけではない。北京大会で太田雄貴氏が初めてのメダルを獲得し、以後、ロンドン、東京とメダル獲得という目標を達成し、パリでは団体戦で4種目、個人戦で1種目、人数で見れば16人のメダリストが誕生したが、それで終わりではなく、大切なのはこれから。多忙なスケジュールに「練習できないもどかしさもあった」と言いながらも、上野は「メダルを獲ってフェンシングが注目されていることは嬉しいし、自分たちが注目されることでフェンシングを始める子たちが増えたら、という思いで取材や(番組への)出演も断らず、活動していこうと思ってやってきた」と言う。

 奢ることなく前に向けて、歩みを止めずに進んで行く。競技普及のためでもあるが、大前提にあるのはそれぞれが抱く「もっと強くなりたい」という思いが基盤になる。フェンシングに対する情熱を、最もシンプルに、熱く語ったのは男子エペの見延和靖だ。

 パリ五輪に出場したフェンシング選手日本代表では最年長の37歳。生涯現役を宣言する見延はこれまでも日本人初のタイトルにこだわってきたと振り返るが、今はそこにプラスして「フェンシングの極意を追求したい」と語る。

「目標を置いて、そこに進む。最短ルートで歩んでいければ効果的なのかもしれないですけど、そうなるとたどり着いた先に何があるのか。見失ってしまうという現象にも陥りました。富士山を昇るにしても、登り切った後に下りの道があって、それは他から見ればただ降りているように見えるけれど、次の目標に行くための道でもある。登り切っても歩みを止める必要はないし、フェンシングを1つの道と捉えて極めたい。次なる目的地に向かって、次の一歩を踏み出す決心をしたので、その道沿いにロス、ロス五輪のメダルがあれば一番いいな、と思うようになりました」

 練習は十分ではなく、コンディションも万全ではなく「大会前から優勝するのは難しいと思っていた」と本音を吐露しながらも、準々決勝で村山健太郎に逆転で敗れると「めちゃくちゃ悔しかった」と言いながらも、それこそが次につながる原動力だと言い切る。

「負けた直後は出さなかったですけど、やっぱりめちゃくちゃ悔しかった。でも、ここまで悔しいと思えることが嬉しかったんです。この思いがある限りは歩き続けることができるし、次は絶対負けたくない、と思える。この気持ちこそが、歩みを続けていく原動力になると思っています」

 パリのメダルラッシュもゴールではなく、これからへ続く道。この熱を冷まさぬように。次へとつなぐ活力にするために。フェンサーたちはまた一歩ずつ、それぞれのペースと思いを持って、前へと踏み出していく。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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