56年ぶりのメダルを狙うU-23日本代表・大岩剛監督が取材陣に見せた変化…“ハッピージョブ”として締めくくれるか
U-23日本代表をパリ五輪に導いた大岩剛監督。兄貴肌で、熱血漢である一方、ロジックにも長けた指揮官だ 【写真:池田タツ】
転換点を迎えた五輪代表のあり方
大岩ジャパンは2022年3月の発足以来、山あり谷ありの連続だった。それはコロナ禍に立ち上がったチームに課せられた宿命だったのかもしれない。
一方で大岩ジャパンが七難八苦でここまで活動してきたことがあまり知られていないようにも思う。
知られていないのは、現場で取材している私のようなメディアの責任も大きいかもしれないが、大岩監督が報道陣に対して愚痴や弱音を漏らすことがないのも理由のひとつだ。指揮官自身が次々と襲いかかる困難に焦ることなく冷静に着々と対応としているのに、私たち記者が「大岩ジャパンは本当にいろいろなトラブルが襲ってきて大変だ!」と煽るのも違うだろう。
大岩ジャパンはコロナ禍での海外遠征という難しいマッチメークを強いられたことに始まり、過去の五輪代表の強化では想像し得ない苦労がつきまとったチームだった。
22年6月のAFC U23アジアカップ ウズベキスタン大会では、大会が進むごとにチーム内にコロナ検査の陽性者が増えていき、最後まで万全な状態で戦えなかった。バーレーンで開催された23年9月のパリ五輪アジア1次予選では、想定を大幅に上回る湿度と極暑に苦しめられた。さらに、22年8月に予定されていたアジア競技大会がコロナによって23年9月の開催となったため、アジア1次予選とはまったく別チームで臨むことを余儀なくされる。
それだけではない。パリ五輪アジア最終予選を兼ねたAFC U23アジアカップ カタール大会は欧州のシーズン佳境の24年4月に行われたため、海外組の招集が困難を極めた。この年代は過去の五輪代表と比べても海外でプレーする選手が多く、山本昌邦ナショナルチームダイレクターは「ひとつの転換点を迎えている」と、五輪代表のあり方が変わってきていることを認めた。
次の集合時にはゼロからのスタート
アジア最終予選でキャプテンマークを巻いた藤田譲瑠チマ。チーム発足当初からの主軸で、大岩監督が絶大な信頼を寄せる選手のひとりだ 【写真は共同】
「(今の時点で)当然『この選手たちで行きたい』という考えはある。でも、今までの活動でも、『これで行きたい』という希望が通ったことは1回もない。U-23代表の活動は特殊だというのは本当にそう。最後までどうなるかわからないですね。だからこそあまりルールや状況に引っ張られないように、あくまでもニュートラルに」
振り返ってみれば、大岩ジャパン発足後最初の活動となった22年3月のトレーニングキャンプでも、メンバー発表後に西尾隆矢(セレッソ大阪)と細谷真大(柏レイソル)がケガで辞退している。それ以降、呼びたいメンバー全員を呼べたことは1度もないのだ。
これだけ思わぬことが起こり続けた代表チームにあっても、大岩監督の強化方針はまったくブレなかった。どこかのタイミングで大きくチームが進化したというよりも、着実に一歩ずつ強化の歩みを進めてきた。
だが、外野から見ればブレなかったように見えても、大岩監督には迷いもあったという。
「やっぱりクラブチームとはリズムが違う。活動が終わって、次の活動が2、3カ月後。そうなると招集できるメンバーも変わるし、前回招集した選手たちの頭の中も所属チームのやり方でいっぱいになっている。我々がやろうとすることがまたゼロになるというか、『もうこれは分かってくれているだろう』ということを、またやり直さなければいけない。最初はそういうことの繰り返しでした。
若い選手だったからかもしれないし、あるいは自チームでの試合出場時間が少なかったからかもしれない。最初はいろんなことをやろうと考えていましたが、それよりも『まずは1本筋を通さないと』ということをスタッフ間で共有しました。戦術やチームのフィロソフィー、ゲームモデル、原則をブレずに積み上げていこうと」