世界4団体を日本人が独占するバンタム級の日本王者 富施郁哉が「人生の分岐点」となる再戦に臨む

船橋真二郎

日本バンタム級王者の富施郁哉(右)と町田主計トレーナー 【写真:船橋真二郎】

 名立たる日本人世界王者を輩出してきたバンタム級。その体重53.5kgリミットの階級が今、かつてない状況になっている。WBCに中谷潤人(M.T)、WBAに井上拓真(大橋)、IBFに西田凌佑(六島)、WBOに武居由樹(大橋)、世界4団体を日本人王者が独占していることはもはや言うに及ばず。9月3日に武居に挑戦することが決まった比嘉大吾(志成)、那須川天心(帝拳)、堤聖也(角海老宝石)など、個性豊かな6人もの日本人世界ランカーが集結し、王座を巡って、しのぎを削っているのだ。

挑戦者優位の初防衛戦

「名前が挙げられるようなすごい選手と比べたら、僕はまだ知名度はないかもしれないですけど、バンタム級というだけで注目してもらえると思うので。逆にチャンスだな、と思ってます」

 柔和な表情とは裏腹に日本バンタム級王者の富施郁哉(ワタナベ/26歳、14勝3KO3敗)はきっぱりと口にした。今年4月2日にベルトを巻いたばかり。まだ世界ランクに名前のない新米王者は7月18日、後楽園ホールで初防衛戦に臨む。

 挑戦者の増田陸(帝拳/26歳、4勝4KO1敗)とは再戦になる。昨年5月、墨田区総合体育館で行われた「井上尚弥4団体統一記念杯・バンタム級モンスタートーナメント」初戦の準々決勝で対戦。立教大時代に国体準優勝の実績を残したプロ3戦目の増田が、当時日本2位だった富施から2度のダウンを奪った末、長身のサウスポー対決を7回TKOで制している。

 勝ち上がった増田は同トーナメント準決勝で、当時の日本王者で2度防衛中の堤に挑戦。フルラウンドを戦い抜く激闘を繰り広げ、プロ初黒星を喫するも評価を上げた。今年2月、世界挑戦経験者でWBO6位のジョナス・スルタン(比)をボディへの強烈な左ストレート一撃で沈める初回KO勝ちで再起。現在は世界3団体でランク入りする堂々のホープである。

 左ストレートの切れ味に凄みのあった山中慎介(帝拳)を名王者に導いた大和心トレーナーが傍らに寄り添う。すっくと上体を立てて構えるクラシックなスタイル、左ストレートの威力は、その先輩王者を彷彿とさせる。右のジャブもいかにも硬く、これが左の精度を上げている。堤の重たいパンチにも耐えきったことで、心身両面のタフネスも証明済みだ。

 すでに直接対決の結果も出ており、戦前の予想は挑戦者優位が上回る。

「(増田に)負けてる僕が日本チャンピオンで、もう1回やらないと(ファンは)納得しないと思うし、あれだけ倒された相手で怖さはありますけど、そこは覚悟を決めて」

 そんな増田との再戦を「人生の分岐点」と富施は表現する。

「ボクシングをもっと続けたいし、もっと上に行きたいし。その試練の試合になると思うんで。勝ちたいです。これを超えたら、自分の名前も上がるだろうし、世界にも行けるということなので」

 この1年2ヵ月で「自分が強くなった自信がある」という。もちろん、増田もまた経験を積み、「さらに強くなっている」と感じる。この勝利がもたらすものは世界への可能性だけではない。もっと大きな何か。富施にとって、そういう試合である。

富施郁哉が歩んできた道

2017年11月、東日本新人王決勝戦後の表彰式で。初々しい19歳の富施(左から2人目)を含め、ワタナベジムから4人の東日本新人王が誕生した 【写真:船橋真二郎】

 茨城県笠間市の出身。小学1年から空手を習い、小学5年、中学1年のときには全国大会にも出場した。いわゆる寸止めの空手。誤って打撃を与えての反則負けも少なくなかった。やがて、「ボクシングだったら、思い切りできるんじゃないか」と考えるようになる。

 もともと父の影響もあり、ボクシングを見るのが好きだった。富施が小学生の頃に世界王者になった長谷川穂積が一番のヒーローだった。祖父もまた海外のボクシングを視聴するためにWOWOWと契約するほどで、自然の成り行きであったと言えるのかもしれない。

 もっとも中学では空手と並行して陸上部に入り、400m走で活躍。県大会6位に入賞し、県下の高校から誘いもあったという。「ボクシング、ちょっと怖いし、陸上にしようかなって、一瞬」。心が傾きかけたのだと笑った。

 茨城県立水戸桜ノ牧高校常北校に入学。「茨城イチ名前が長い」という高校のボクシング部で、この競技の難しさ、面白さを知る。部員は新入生の富施も入れて3名だけだったが、のちに帝拳ジムからプロ入りし、東日本ライトフライ級新人王になる郡司勇也が最上級生にいた。

 すでにアジア・ユース日本代表、選抜優勝の実績がある先輩の階級は最軽量級だったが、軽めのスパーリングでも歯が立たなかった。「すごいな」という強さへの素直な憧れと悔しさが、富施の始まりになった。

 翌年夏のインターハイで全国大会初出場、年が明けた春の選抜ではバンタム級準優勝の結果を残した。ちなみに決勝の相手は現・日本ライト級5位の今永虎雅(大橋)。最終的に全国8冠、高校の主要タイトルを総ナメにする1学年下の“期待の星”だった。

 3年の途中で通信制高校に編入し、プロを志して名門のヨネクラジム入り。上京して、週6回、午前はスーパー、夜は飲食店のアルバイトをかけもちしながら、練習に励んだ。「頑張って、早く強くなって、活躍したい。新人王になったら何かが変わる、道が拓けるんじゃないか」。その一心だったと18歳の日々を振り返る。
 
 2017年1月にデビュー。2戦目が目標の新人王トーナメント初戦だった。米倉健司会長が高齢のため、ジムが54年の歴史に幕を下ろすことになり、この先のことが何も見えない不安のなかで臨んだリングでもあった。3戦全勝3KOの強打者相手にダウン。判定で競り勝った。

 手を差し伸べたのがワタナベジムに移ることが決まった町田主計トレーナーだった。4回戦の富施にも「一緒に来ないか」と声をかけてくれた。2戦ともチーフセコンドについてくれたが、まだ駆け出しの身には担当トレーナーが定まっていなかったという。「どこのジムに行けばいいか、自分では分からなかったので。町田先生には感謝しかないです」。

 無傷の5連勝で全日本新人王をつかみ取り、日本ランク入りを決めた。が、イメージしていたように道が一気に拓けたわけではなかった。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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