世界4団体を日本人が独占するバンタム級の日本王者 富施郁哉が「人生の分岐点」となる再戦に臨む

船橋真二郎

田口良一も覚えた“等身大の焦燥”をバネに

2021年10月、田井宜広を攻める富施 【写真:ボクシング・ビート】

 スピードがあり、長い手足を利した右ジャブ、左ストレートで突き放し、俊敏なフットワークで相手の周りを旋回する典型的なアウトボクサー。線の細かった富施が変わってきたのはプロ11戦目、2021年7月の冨田風弥(TRIBE SHIZUOKA)戦だった。

 その2年前、インターハイ準優勝からプロに転じて、まだ2戦目の18歳、現・日本スーパーバンタム級1位の石井渡士也(RE:BOOT)に5回負傷判定で初黒星を喫し、日本ランクからも外れた。その後、コロナ禍でしばらく試合の機会を奪われ、実に1年7ヵ月ぶりのリングだった。

 持ち前のアウトボクシングをベースに相手のインサイドを突き、縦に切り込んで攻める頻度が目に見えて増えた。前年度の全日本新人王だった冨田に判定勝ちし、日本ランク下位に復帰した。続く24歳以下のタイトル、日本ユース王座決定戦で芦屋大からプロ転向の日本ランカー、田井宜広(RST)にも大差の判定勝ち。「強い選手だったら倒し切る」と決して満足しなかったが、クロスレンジの打ち合いにも強気に打ち勝って、見せ場をつくるなど、磨きがかけられた。

 専門誌の取材で富施と向かい合ったのは田井戦から10日後だった。最新の日本ランキングでタイトル挑戦権内に上がったことを知ると噛み締めるように言った。

「ようやく先(将来)が見えてきた感じがします」

 2021年は富施が23歳になる年だった。「周りの友だちが大学を卒業して、社会人になって、働き始めるときで。僕だけバイトして、なかなか試合も決まらなくて。この先どうなるんだろう、将来どうしようとか、正直、不安だったんですけど……」と苦しかった胸の内を吐露した。

 そういう若者らしい等身大の焦燥がボクサーを駆り立てることがある。富施のジムの先輩で、元世界王者の田口良一もそうだった。

 長らく日本ランクに名前を連ねながら、チャンスが回ってこない。自身の成長も感じ取れない。気づくと周囲の同世代の大半が会社に勤め、安定した収入を得ている。将来を考え、安定した職に就いたほうがいいのではないか、と迷ったことがあるのだと振り返ったことがあった。

 しばらくして、田口は日本タイトル挑戦権を争うトーナメント「最強後楽園」への出場を決意する。当時の日本ランクは2位。無難に試合をこなしていれば、遠からずタイトル挑戦の機会は訪れるはずだが、1日でも早く自己証明したいという衝動を抑えられなかったのだ。

 現役終盤に2度世界に挑戦する久田哲也(ハラダ)、のちに世界王者となる木村悠(帝拳)を連破し、望んでいたチャンスをつかむ。このときは日本王者の黒田雅之(川崎新田)と引き分け、涙をのむのだが、このリスクも辞さずに勝負する姿勢が田口を世界王者に引き上げたのだと思う。

 そして、ここから富施のボクシング人生も動き出すことになる。

重岡兄弟からも刺激

スパーリング後、重岡銀次朗(左)にアドバイスを求める。プライベートでも仲が良い 【写真:船橋真二郎】

 2022年5月には初の海外遠征。今、井上尚弥(大橋)の対戦候補としてクローズアップされ、何かと話題になるサム・グッドマン(豪)とオーストラリア・ニューカッスルで戦った。スーパーバンタム級の地域タイトルがかけられ、1階級上での試合だったが、迷うことなく対戦オファーに応じた。

 トップ戦線に躍り出る直前、当時10戦全勝(6KO)のホープに判定で敗れたものの、3回にはカウンターの左ストレートでダウンを奪い、意地を見せた。

 再起した富施に渡辺均会長がもちかけたのが「バンタム級モンスタートーナメント」出場の話だった。

「いよいよ来たかって。強い選手が出るだろうから、怖さもあったんですけど、チャンスだし、いよいよタイトルに絡んでいく戦いが始まるんだなと思いました」

 同じ町田トレーナーのもとで腕を磨き、世界王者になった同年代の重岡優大、銀次朗兄弟からも刺激を受けてきた。特に1歳下の銀次朗は富施のサブセコンドにもつき、「的確なアドバイスをくれる」と信頼は厚い。

 取材の日も銀次朗のミット打ちが始まると食い入るように見つめた。自身のスパーリング後には見守っていた銀次朗にアドバイスを求め、2人で熱心に話し合う光景が見られた。

「優大さん、銀は同じサウスポーで、ここでこんなパンチを打つんだ、やってみようとか、見て参考にするし、いろいろ訊いて、教わりますし。先に日本、アジアを獲って、世界チャンピオンになって、羨ましい気持ちもあったんで。次は僕がタイトルを獲りたいというのはありました」

日本を勝ち抜けば、世界に近づくという実感

町田トレーナーとミット打ちで調整。ヨネクラジム時代からの師弟 【写真:船橋真二郎】

「勝って、泣いたのは初めてだった」という。4月の王座決定戦。杉本太一(勝輝)を5回TKOで下すと自コーナーのポストを駆け上がり、喜びを素直に表していたが、直後に町田トレーナーと抱き合った顔はくしゃくしゃだった。

「町田先生の顔を見たら、涙が出てきちゃいました。僕にとっては一緒にチャンピオンになれたことが嬉しかったです」

 故郷にベルトを持ち帰った。闘病中の祖父は「すごいな」とつぶやき、じっと目に焼きつけるように見つめていたという。「人生で一番好きなスポーツがボクシングで、孫が日本チャンピオンになって、嬉しかったと思う」。父は祖父の胸中をそう代弁してくれた。

「チャンピオンの地位は渡したくない」の思いは当然のことながら、それ以上に強く「もっと上に行きたい」と湧き上がっているという。

 昨年4月末から増田陸戦の直前まで、米・ラスベガスのトップランクジムに呼ばれ、当時のWBO世界スーパーフライ級王者だったアンドリュー・モロニー(豪)の中谷潤人との防衛戦に向けたスパーリングパートナーを務めた。

 同じくパートナーとして招かれていたフィリピン勢、日本でもおなじみのマイケル・ダスマリナス、アーサー・ビラヌエバと同部屋で寝起きし、ビンセント・アストロラビオ(比)とのWBO世界バンタム級王座決定戦を控えていたアンドリューの双子の兄・ジェーソンとも練習をともにした3週間。実感したのは世界の壁の高さではなかった。

「日本の軽量級のレベルは高いんだなって」

 だから、その後にアンドリューが中谷に豪快に打ち倒されたことも、この5月に東京ドームでジェーソンが武居由樹に敗れるなど、バンタム級を日本人ボクサーが席巻していることも、驚きではないという。

「日本を勝ち抜けば、世界に近づけるというのが僕の実感でした」

 元ワタナベジムの先輩でもある堤聖也が王座を返上したときは、ベルトを争う相手は増田だと思うほど、存在は常に意識のなかにあった。前回は2戦連続初回KOで勝ってきた増田の3戦目。イメージをつかみきれないなかでの戦いだったが、今回は違う。

「左も右も危険なパンチなので、もらわないように集中して。でも、ビビらずに。遠い距離でも、近い距離でも、自分のペースを貫きたいと思います」

 昨年12月、大阪で臨んだ挑戦者決定戦は5回に1位の那須亮佑(グリーンツダ)を左で倒し、終始優勢に試合を運びながら、大差の判定勝ちだった。4ヵ月後の王座決定戦では杉本を倒した5回にしとめきり、自身の経験値として「自信になった」という。スパーリングでも相手を倒す、効かせることが増え、まとめ方もつかんできた。

「10ラウンド戦うなかで、チャンスがあったら」

 活況を呈するバンタム級戦線で存在を示すことができるか。勝負の再戦に「自分の出せる力を全部出したい」と誓う。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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