高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち

神奈川から頂点へ、横浜隼人 大所帯のチーム、ひとりひとりが全力で引っ張る「綱引き野球」

大利実
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【写真提供:カンゼン】

 優勝争いの中心にいる横浜、東海大相模、慶應義塾、桐光学園。常連校の壁に挑む相洋、横浜隼人、横浜創学館、日大藤沢、桐蔭学園。革命を起こす準備を進める立花学園。古豪復活へ力をつける武相。旋風を狙う県相模原、横浜清陵、川和、市ケ尾。

 選手にさまざまな個性があるように、監督にもさまざまな色がある。夏の勝者はわずかに1校。全国屈指の激戦区・神奈川で互いに切磋琢磨しながら鎬を削る監督たちの熱い想いを一冊にまとめた書籍「高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち」(大利実著)から、一部抜粋して公開します。

時代の流れを受け入れ、思考をアップデート

 徳島市立から国士舘大に進み、国士舘高のコーチを経て、1988年9月から隼人(現・横浜隼人)に指導の場を移してから36年、喜怒哀楽たっぷりの指導で、高校生の心と技術を育てている。

 就任してすぐ、知人の紹介で、横浜を率いていた渡辺元智監督と食事をする機会があり、熱い言葉をもらった。

「神奈川でやっていくのは大変だぞ。並大抵な覚悟ではやっていけないからな」

 今も忘れることなく、1年1年を過ごしてきた。

 元号で考えると、隼人に移ったのが昭和63年で、平成2年から監督に就き、気づけば令和はもう6年。学校では教頭職を任され、学園全体をマネージメントする立場になっている。元号の変遷とともに、時代の流れにも敏感になった。

「もう、昭和の人間、昔の人間ですから。それは、十分に自覚しています。昔の人間だからこそ、ぶれずに大事にしたいこともあれば、コーチ陣に任せたほうがいいこともある。そこは年々考えるようになりました。ずっと同じやり方で指導していたら、選手は付いてきませんから」

 他校の監督からは、「以前みたいに、水谷監督が前に出て、ガンガン引っ張ってほしいんですけどね」という声も聞こえてくるが、立場も時代も選手たちの気質も変わってきている。多くのOBが、「水谷先生は優しくなった」と証言する。
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著者プロフィール

1977年生まれ、横浜市出身。大学卒業後、スポーツライター事務所を経て独立。中学軟式野球、高校野球を中心に取材・執筆。著書に『高校野球界の監督がここまで明かす! 走塁技術の極意』『中学野球部の教科書』(カンゼン)、構成本に『仙台育英 日本一からの招待』(須江航著/カンゼン)などがある。現在ベースボール専門メディアFull-Count(https://full-count.jp/)で、神奈川の高校野球にまつわるコラムを随時執筆中。

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