アジアカップで日本の「収穫」となった毎熊晟矢 序列を上げたSBが手にした課題と次なる目標

安藤隆人

毎熊晟矢はアジアカップで3試合に先発して存在感を示した 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 ベスト8で幕を閉じた日本代表のアジアカップ。今大会を通じて得た大きな収穫の1つが、毎熊晟矢の台頭と言っても過言ではないだろう。

 海外組がずらりと揃う日本代表において、毎熊はセレッソ大阪でプレーする「国内組」だ。しかも2021年まで、J2のV・ファーレン長崎でプレーしていた。2022シーズンに初めてJ1のピッチを踏むと、一気に日本代表まで駆け上がり、アジアカップではレギュラークラスの存在感を放っていた。

 なぜ彼は、ここまで急激に頭角を現せたのか? アジアカップで何を見せたのか? そこに触れる前に、ここに至るまでの経緯に触れておきたい。

「ムービングストライカー」だった高校時代

 東福岡高校時代の毎熊はサイドバック(SB)ではなく、[4-3-3]の1トップを主戦場としていた。179センチのサイズを持ちつつ、スピードを誇り、縦への仕掛けを得意とする彼は「1トップらしくないFW」だった。

 アジリティーやランニングの質は当時からずば抜けていた。ウイングや2列目以降の選手と抜群の距離感を保ちながら、ポストプレーだけでなく、ゼロトップのように落ちてからのボールの引き出し、サポート、追い越しに至るまで多岐にわたるタスクをこなしていた。

「動きながらプレーをすることが得意なんです。ポストプレーや前線でタメを作りながらも、自分の持ち味である周りをうまく使いながらのプレーをどんどんやっていきたいと思っています」

 当時、毎熊はこう口にしていた。ボールの動きや味方との距離感を常に頭の中で計算しながら、近づいてショートパスを交換したり、離れて味方のスペースを作り出したり、1発で相手の背後を狙ったりと、「人とスペースをつなぐ柔軟性の高いプレー」をするムービングストライカーでもあった。

SBへのコンバートで才能が開花

 桃山学院大に進学後はフィジカルやスピード、判断力を磨くと、2020年に加入した長崎で毎熊は右SBへコンバートされる。これでその才能が開花した。

「FWの時から常に『今、ここに立つのは効果的だな』と思いながらポジションを落としたり、動いたりしてプレーしていました。それがFWの時よりもプレッシャーが少なく、視野も確保できるポジション(SB)に移ったので、FWより周りを見ながらやっています」

 SBという天職を見つけたことで、彼は一気に階段を駆け上がった。サイドを激しくアップダウンするだけでなく、プレーエリアによって役割を変化させ、かつそのポジションを巧みにつなぎ合わせることで数、位置、質の「優位性」を作り出す。その能力はビルドアップだけではなく、フィニッシュワークでも効力を発揮。ボールを運び、突破し、アタッキングエリアに侵入したらFWとしてラストパスやシュートで仕留めるというスケールの大きなSBへと変貌を遂げた。

 J1にもすぐ順応した毎熊が森保一監督の目に留まることは必然だった。タイミングも代表入りを後押ししていた。カタールW杯まで日本代表の右SBには酒井宏樹という不動の存在がいた。185センチのサイズを誇り、攻守の能力や献身性を兼ね備えた彼の存在は右サイドを安定させていた。ただし、2026年のW杯時には36歳となる酒井の後釜探しは、日本代表にとって重要課題の1つだった。

アジアカップのインドネシア戦が転機に

 菅原由勢、橋岡大樹らが右SB候補として名乗りを上げる中で、2023年9月に行われたヨーロッパ遠征に毎熊は初招集された。9月12日のトルコ戦ではスタメンとして代表デビューを果たし、初陣とは思えない堂々たるプレーを見せると、そこから代表に定着していく。

 アジアカップは初戦のベトナム戦、第2戦のイラク戦ともに菅原が先発だった。毎熊は第3戦のインドネシア戦でスタメンに起用されると、右ウイングの堂安律、右のインサイドハーフに入った久保建英と息の合った連係を見せ、「トライアングル」で攻撃を活性化させた。

 インドネシア戦の前半2分には、ディフェンスラインのパス回しから右の高い位置でボールを受けると、右ワイドに開いた堂安へパス。ハーフスペースに走り込んでそのまま抜けたことで、堂安のカットインのコースを開けた。日本はカットインした堂安のスルーパスからPKを獲得。キッカーを務めた上田綺世が日本に先制点をもたらした。

 毎熊は前半35分にも久保とのワンツーでペナルティエリア内右のスペースに侵入すると、浮き球のボールをトップスピードに乗ったままダイレクトで折り返し、FW中村敬斗の左ポスト直撃の決定機を演出。後半もビルドアップ、サイド突破に積極的に絡んで、フル出場で3-1の勝利に貢献した。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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