91年、ほぼ決まっていたイチローの中日3位指名 その後に影を落とした土壇場での指名回避
大スターとなった地元の逸材、イチローを指名できなかった中日。この年以降の指名にも、大きな影響を及ぼすことになった 【写真:岡沢克郎/アフロ】
中田宗男著『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』から、一部抜粋して公開します。
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3位指名されるはずだった鈴木一朗
「中日はなぜイチローを指名しなかったのか」
「中日のスカウトはそもそもイチローをバッターとして見ていなかった」
はっきり言っておきたいのは、イチローは上位指名候補であったし、しっかり野手として評価していたということだ。もっと言えば3位指名がほぼ決定していた。
詳しく振り返ろう。この年にピッチングコーチから東海地区担当スカウトに転身した池田英俊さんが鈴木一朗のバッティングを高く評価していた。
春の愛知県大会が終わった頃、球団事務所で顔を合わせた池田さんに「愛工大名電の鈴木というピッチャー、バッティングが良いんだよ。一度見てくれないか?」と頼まれたことがあった。スカウト1年目で自分の目にまだ自信が持てなかったのだと思う。だが、岡田さんが部長になってからは「自分の担当地区の選手だけを推薦する。他の地区の選手のことに口を出さない」という不文律のようなものができていた。私は前年から岡田さんとの折り合いも良くなかった。
「僕が見に行くと岡田さんになんか言われますよ。そんなに良いなら岡田さんに直接見てもらったほうがいいですよ」とやんわり断った。だが「お願いしても全然見てくれないんだ」と泣きつかれた。結局、直接見には行かず池田さんの持っている鈴木一朗の打撃練習のビデオを見させてもらうことにした。
体は細いが軸がしっかりしていてすごいスイングをする選手。
それが鈴木一朗のビデオを見た私の印象だった。
「いいじゃないですか!」と言うと、「そうだろ?」と池田さんは少し得意げだった。
スカウト会議で池田さんは鈴木一朗を強く推した。私も素材として素晴らしいと思ったので後押しした。
だいぶ時間が経ってから池田さんに「鈴木はどうなりましたか?」と尋ねると「上手いこといくみたいよ」ということだった。これで2位は日本生命の新谷、3位は愛工大名電高の鈴木一朗という指名順になるのだろうなと私は思った。
新谷ともう1人、担当地区からどうしても獲りたい選手がいた。それが渋谷高(大阪)の中村紀洋だった。中村を初めて見たのは1年の秋。バッティング練習の強烈なスイングが今も印象に残っている。打ち損じた打球でも強烈に真上に上がる。高校生でこんなにボールが上がった打球を見たことがなかった。
中村は翌年夏には私の母校・上宮高と大阪大会決勝で戦い、2年生ながら2本のホームランを打ってチームを甲子園に導いた、公立高に現れたヒーローだった。まともに勝負して抑えられるピッチャーは大阪にはいなかった。それくらい強烈なバッターだった。だからこの年のドラフトでは、「関西の高校生は中村だけ!」といってもいいくらい、中村に惚れ込んでいた。2位か3位でないと獲れないと思っていたから、池田さんには申し訳ないが、本音を言えば3位は鈴木一朗ではなく中村でいって欲しいと思っていた。
スカウト会議で私は中村を推し続けたが、ドラフトが近づいてきた9月になって「脚力がない選手は獲れないよ」と岡田さんにはねつけられた。
「足は遅いですが打撃は強烈です。守備も肩があってスローイングも良いです」とそれでも推したが、岡田さんの反応は芳しくなかった。「脚力が……」というのだから、もう3位は鈴木一朗にいくことを決めたのだな。それであれば仕方がないと、このときは中村の指名は難しいと半ば諦めていた。