1年目から大活躍!? ドラフト指名された即戦力候補たち

ドラ1大学生投手の知られざる高校時代【武内夏暉編】 西武1位の大型左腕、「芯を食われない直球」に才能の片鱗

加来慶祐

最後の夏の直前に見せた圧巻の投球

 武内は2年進級時に、本人の強い希望もあって投手中心でやっていくこととなった。前述のように、当時の八幡南は投手陣が豊富だった。武内は感情を表に出すタイプではなく、自らが率先してまわりを引っ張っていくタイプでもなかった。福盛監督は叱った記憶がないというが、逆に特別目立った存在でもなかった。「先生方もきっと『あの武内君がエースなの!?』という思いで見ていたのではないでしょうか」と福盛監督は笑う。

 そんな武内だが、投手に専念したことによって徐々に才能が開花していく。そして「八幡南にスピンの効いた球を投げる長身左腕がいる」という噂が福岡県北部を駆け巡るようになり、それを聞きつけたスカウトの姿が目につくようになった。そこで武内は、誰に言われるでもなく静かにスイッチをオンに切り替えたのだという。

 3年春は4回戦で九州国際大付に1-11という大差で敗れたが、その後行われた北九州市内の地区大会では優勝を飾っている。この時、決勝で完封したのが武内だった。これが武内にとっては、高校時代に獲得した唯一のタイトルである。

 しかし、福盛監督にとってはそれ以上に印象的な登板があった。夏の大会直前の6月23日、別府翔青(大分県)との練習試合だ。武内はこの試合に先発し、7回を投げ被安打4、11奪三振。無四球、無失点という完璧に近い投球を披露したのだ。

「相手の打者がまったく手も足も出ませんでしたね。とにかくすごい真っすぐでした。まさに高校時代のハイライトがあの試合だったと言っていいかもしれません」

 当時の力を考えれば、最速は130キロに達していたかどうかだろう。しかし、ストレートを張っている相手を嘲笑うかのように、武内は空振りを量産した。キレはもちろんだが、とにかく凄みがあり、気持ちの良いストレートを投げていたと福盛監督は振り返る。

恩師が「これなら大丈夫」と確信した出来事とは

高3夏には130キロ出るか出ないかだった球速は、國学院大入学直後に140キロ超え。その後もぐんぐん成長して東都を代表する投手となり、大学通算14勝7敗、防御率1.58という成績を残した 【YOJI-GEN】

「大学のセレクションでは『伸びしろを見てください』と伝えました。すると武内は全国有数の打者のインコースを積極果敢に攻め、チェンジアップで空振り三振を奪う“実戦力”を見せつけたのです。そこで『もうちょっと投げてみて』とリクエストが入り、予定よりも長く投げることになりました」(福盛監督)。

 夏の3回戦敗退後、武内は大学進学に備えたトレーニングに取り組む。冬の間に体の厚みが増し、球速は130キロ台中盤を叩き出すようになった。そして國學院大に入学直後の4月に武内は140キロの大台を突破する。その報告を受け“ようやく来たか”と大きく頷く福盛監督の姿があった。

 その後、武内は瞬く間に東都を代表する投手に上り詰めていく。その成長度合いがあまりに急激すぎるがゆえに、福盛監督は常に故障を心配していたという。しかし「これなら大丈夫」という確信を得る出来事もあった。

「武内の親御さんが厳しい方で、武内が大学でインスタグラムを始めた時に『そんなチャラチャラしたものはやめて、野球に集中しろ!』と注意したところ、武内はスパッとインスタをやめてしまったそうなんです。それぐらい自分を律することができるのなら安心です。誰からも応援してもらえる投手になって、頑張ってくれるでしょう」

 母校の恩師から「大丈夫」とのお墨付きを得て、大学最高峰の左腕がプロデビューのマウンドへと向かう。

(企画・編集/YOJI-GEN)

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著者プロフィール

1976年大分県竹田市生まれ。東京での出版社勤務で雑誌編集などを経験した後、フリーランスライターとして独立。2006年から故郷の大分県竹田市に在住し、九州・沖縄を主なフィールドに取材・執筆を続けているスポーツライター。高校野球やドラフト関連を中心とするアマチュア野球、プロ野球を主分野としており、甲子園大会やWBC日本代表や各年代の侍ジャパン、国体、インターハイなどの取材経験がある。2016年に自著「先駆ける者〜九州・沖縄の高校野球 次代を担う8人の指導者〜」(日刊スポーツ出版社)を出版した。

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