西浦颯大『もう一回野球させてください神様』

松葉杖姿で球場入りも「めちゃくちゃ楽しかった」引退試合 その後に西浦颯大が語った“将来の夢”

西浦颯大

最後の1球、こみ上げた涙

 グラウンドに足を踏み入れるのは、一軍で最後に試合に出場した2020年11月4日以来。復帰戦が、引退試合となりました。

 この時は松葉杖を使わずに、ゆっくりと、自分の足でグラウンドを踏みしめながら、一歩一歩、センターの守備位置に歩いていきました。

「めちゃくちゃ遠いな。センターってこんなに遠かったっけ? グラウンドってこんなに広かったっけ?」

 病気になる前はなにも考えず、自慢の足で、一瞬でたどり着いていたセンターの定位置が、こんなに遠く感じるなんて。そもそも、歩いて守備位置に向かったのは生まれて初めてのことでした。
 ようやく定位置にたどり着くと、レフトの中川圭太さんとキャッチボール。ちゃんとしたキャッチボールをするのも10ヶ月ぶりでした。キャッチボールは股関節に体重がかかってしまうので、椅子に座った状態でしかやっていませんでしたから。久しぶりすぎて、むちゃくちゃ肩が痛かったです(苦笑)。

 守備位置につくと、いろいろと思い出しちゃいましたね。それまでに自分がしてきたファインプレーが脳裏に甦ってきて、涙がこみ上げてきました。
「うわー、もう野球できねーんだ」
 改めてそう思い知らされながら、〝最後の1球〞に備えて、少しだけ膝を曲げて構えました。

 この回のマウンドには前佑囲斗が上がっていました。前は143キロのストレートを、打者の外角高めに外してくれました。
 僕に許されたのは、この1球の間の守備のみでした。
 僕のための1球。僕のための時間は終わりました。

 小林宏二軍監督がベンチから出てきて、交代を告げます。
 レフトの圭太さん、ライトの田城飛翔が僕の元に駆け寄ってくれて、ゆっくりとベンチへ送り届けてくれました。

 ベンチ前で、同期入団のムーさん(西村凌)が花束を持って待っていてくれました。

 ムーさんの弟が、明徳義塾時代に1年先輩だった西村舜さんだったというつながりもあって、僕がオリックスに入団した時、最初に仲よくなった人がムーさんでした。向こうも僕のことを知ってくれていて、お互いに「存じ上げております」みたいな感じで挨拶をしたような記憶があります。
 すごく優しい人で、会話が面白い。先輩なんですけど、僕がちょっかいをかけて、追いかけられる、そんな関係でしたね。

 ベンチ前で、「お疲れさま」と言いながら、花束を渡してくれたムーさんが、泣いていました。
 いつも飄々としているムーさんが。
「ムーさん、泣いてくれるんだ。オレのために」
 そう思ったら、もう、僕も涙をこらえられませんでした。
 ムーさんと抱き合って泣きました。

夜な夜な考えた“将来の夢”

 グラウンドを離れるのは名残惜しかったですね。やっぱり打席に立ちたかった。なんか、打てる自信があったんですよね……。

 引退試合後の取材で、「この先の夢は?」と聞かれて、こう答えました。

「僕はずっと〝プロ野球選手〞が夢です。まあ、現実的には無理なんですけど、心の中ではずっと〝プロ野球選手〞が将来の夢です」

 ちょっとカッコよくないですか?(笑)

 なにかちょっと最後に名言を残したかったので、「なんて言ったらカッコいいだろうな?」と夜な夜な考えて、用意していました。
 もう無理なんですけどね、プロ野球選手。無理だから引退しているのに、「将来の夢はプロ野球選手です」って、アホみたいなことを言ってるのはわかっているんですけど、でも、ちょっとカッコいいかなと思って。

 まあ、野球はずっと好きですよ、ってことですね。

書籍紹介

【写真提供:KADOKAWA】

小学6年生でソフトバンクジュニアに選出されるなどセンス抜群の野球少年だった西浦颯大。
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。

そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……

引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは? 
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?

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