松葉杖姿で球場入りも「めちゃくちゃ楽しかった」引退試合 その後に西浦颯大が語った“将来の夢”
最後の1球、こみ上げた涙
この時は松葉杖を使わずに、ゆっくりと、自分の足でグラウンドを踏みしめながら、一歩一歩、センターの守備位置に歩いていきました。
「めちゃくちゃ遠いな。センターってこんなに遠かったっけ? グラウンドってこんなに広かったっけ?」
病気になる前はなにも考えず、自慢の足で、一瞬でたどり着いていたセンターの定位置が、こんなに遠く感じるなんて。そもそも、歩いて守備位置に向かったのは生まれて初めてのことでした。
ようやく定位置にたどり着くと、レフトの中川圭太さんとキャッチボール。ちゃんとしたキャッチボールをするのも10ヶ月ぶりでした。キャッチボールは股関節に体重がかかってしまうので、椅子に座った状態でしかやっていませんでしたから。久しぶりすぎて、むちゃくちゃ肩が痛かったです(苦笑)。
守備位置につくと、いろいろと思い出しちゃいましたね。それまでに自分がしてきたファインプレーが脳裏に甦ってきて、涙がこみ上げてきました。
「うわー、もう野球できねーんだ」
改めてそう思い知らされながら、〝最後の1球〞に備えて、少しだけ膝を曲げて構えました。
この回のマウンドには前佑囲斗が上がっていました。前は143キロのストレートを、打者の外角高めに外してくれました。
僕に許されたのは、この1球の間の守備のみでした。
僕のための1球。僕のための時間は終わりました。
小林宏二軍監督がベンチから出てきて、交代を告げます。
レフトの圭太さん、ライトの田城飛翔が僕の元に駆け寄ってくれて、ゆっくりとベンチへ送り届けてくれました。
ベンチ前で、同期入団のムーさん(西村凌)が花束を持って待っていてくれました。
ムーさんの弟が、明徳義塾時代に1年先輩だった西村舜さんだったというつながりもあって、僕がオリックスに入団した時、最初に仲よくなった人がムーさんでした。向こうも僕のことを知ってくれていて、お互いに「存じ上げております」みたいな感じで挨拶をしたような記憶があります。
すごく優しい人で、会話が面白い。先輩なんですけど、僕がちょっかいをかけて、追いかけられる、そんな関係でしたね。
ベンチ前で、「お疲れさま」と言いながら、花束を渡してくれたムーさんが、泣いていました。
いつも飄々としているムーさんが。
「ムーさん、泣いてくれるんだ。オレのために」
そう思ったら、もう、僕も涙をこらえられませんでした。
ムーさんと抱き合って泣きました。
夜な夜な考えた“将来の夢”
引退試合後の取材で、「この先の夢は?」と聞かれて、こう答えました。
「僕はずっと〝プロ野球選手〞が夢です。まあ、現実的には無理なんですけど、心の中ではずっと〝プロ野球選手〞が将来の夢です」
ちょっとカッコよくないですか?(笑)
なにかちょっと最後に名言を残したかったので、「なんて言ったらカッコいいだろうな?」と夜な夜な考えて、用意していました。
もう無理なんですけどね、プロ野球選手。無理だから引退しているのに、「将来の夢はプロ野球選手です」って、アホみたいなことを言ってるのはわかっているんですけど、でも、ちょっとカッコいいかなと思って。
まあ、野球はずっと好きですよ、ってことですね。
書籍紹介
【写真提供:KADOKAWA】
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。
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