AS乾友紀子、引退の理由は「悔いなくやり切ったなと思えたから」 苦難の時代にも貫いた「ASが大好きという気持ち」

沢田聡子

引退会見では終始笑顔だった乾友紀子 【写真は共同】

32歳まで続けてきた、約26年間の選手生活

 黒いスーツ姿で引退記者会見の会場に現れた乾友紀子は、一点の曇りもない笑顔だった。

「私は、約26年間続けてきた競技を引退することを決意しました」

 そう切り出した乾は、その理由を「世界選手権(今年7月、福岡)を終えて振り返った時に、悔いなくやり切ったなと思えたから」と説明している。

「大会の結果だけではなくて、そこまでの過程で一日一日すごく濃い時間を過ごすことで、積み重ねてきた日々に悔いがなかったなと思えたから、決意しました」

 32歳の乾が選手生活を終える決断に至ったのは、国内開催の世界選手権でソロ2種目(テクニカルルーティン[以下TR]・フリールーティン[以下FR])連覇を果たしたことに加え、そこに向かう鍛錬の日々で全力を尽くしたという手応えを得たからだ。

「来年にパリオリンピックを控えて何故今年で引退を決意したかというと、東京オリンピックが終わった時に、私にはもう『デュエットとチームはやり切れたな』という思いがあって。でもまだ(非五輪種目の)ソロでやり残したことがある、もっと挑戦したいという思いがあり、世界選手権に出場することを決めて続けてきました。(世界選手権 福岡)大会が終わって振り返った時に、もう『オリンピックに関しての悔いは残っていないな』と思いました」

 早くから名伯楽・井村雅代コーチの秘蔵っ子として知られ、長年日本のエースとして泳いできた乾だが、代表デビューはほろ苦いものだった。

 乾がナショナルチームに入ったのは、デュエット銅メダル・チーム5位という成績だった2008年北京五輪を終えて、新チームに移行する時期である。2004年アテネ五輪までの日本は、シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング[以下AS]の旧称)が五輪の正式種目となった1984年ロサンゼルス五輪以降、全種目・全大会でメダルを獲得し続けてきた。日本にとって北京五輪は、デュエットでメダルを死守した一方、チームでは初めて表彰台に立てなかった五輪だったのだ。

 北京五輪を境に、それまで表彰台の常連国だった日本は低迷期に入っていく。北京五輪後の勢力図が決まる2009年世界選手権(イタリア・ローマ)ではデュエット・チームの代表となった乾だが、全種目で表彰台に立つことなく終わった。乾自身も、会見で当時を振り返っている。

「ナショナルチーム一年目では先輩方が築いてこられたメダルを落としてしまうこともあったりして、悔しい思いをしてきた」

 2011年世界選手権(中国・上海)でも表彰台は遠く、乾にとり初の五輪となる2012年ロンドン大会でもデュエット・チーム両種目で5位に終わる。日本代表の歴史の中でも一番苦しい時代にエースとなった乾は、競技をやめようと思った時期もあったと吐露している。

「なかなか世界大会でメダルが獲得できずに、『メダルを狙って大会に出場してもとれなかった』ということが続いていた中で、メダルさえも目標としなくなった自分がすごく嫌でした。今までは『メダルを獲得するために』と頑張っていたのに、その目標が見つからなくなったことで続けることへのモチベーションが難しくなって…

でも、そこで井村先生が(日本代表の)コーチに戻ってきて下さったので『信じてついていこう』と思いました」

1/2ページ

著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント