神戸・酒井高徳が語る困難を乗り越える秘訣とは? 「ダメな時ほど人より追い込む。それが好結果を生む」

元川悦子

W杯1試合出場に終わった日本代表での経験値

数々の挫折を乗り越え、2019年から神戸の大黒柱として活躍している 【(C)VISSEL KOBE】

 2012~2018年まで名を連ねた日本代表にしても全力を尽くした。酒井がいた時代には長友佑都(FC東京)と内田篤人(JFAロールモデルコーチ)という偉大な先輩が左右のSBに君臨していて、彼はなかなか出番を得られなかった。夢だったワールドカップ(W杯)にも2014年ブラジル・2018年ロシアの2度参戦したが、出場したのは後者のポーランド戦1試合のみ。しかもポジションが本職ではない右MFで、負けず嫌いの男にとっては本当に悔しさの残る結末だったはずだ。

「僕は19歳で南アに行かせてもらって、俊輔(中村=横浜FCコーチ)や岡ちゃん(岡崎慎司=シントトロイデン)、篤人君のように直前で出られなくなった人たちの立ち振る舞いを見て、真のプロフェッショナルとチームプレーを感じました。

 自分自身は代表に約7年いましたけど、試合に出たくて焦ったり、ムッとしたことも1度や2度じゃない。でも『どんな状況でも自分が出たときに持ってる力を出し切るんだ』と思ってやり続けました。だからロシアW杯で1試合に出て全てが終わったときには『もう悔いはない』ってスッキリした気持ちになれたんです。沢山の素晴らしい選手とプレーさせてもらい、選手の幅を広げくさせてもらえた代表の期間というのは本当に宝物ですね」と酒井は全ての経験を今につなげている。

メンタルモンスターがサッカーから逃げた時期

3大会越しのW杯デビューはまさかの右MF。それでも「やり切った」と言い切った酒井高徳 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 ある意味、メンタルモンスターと言ってもいいくらいのポジティブシンキング。強靭なメンタリティを持つ男にもサッカーから逃げたくなった時期があった。

 それはシュツットガルトからHSVへ移籍した2015年夏。シュツットガルトで出番を失い、人生で初めてサッカーを重荷に感じた酒井はオフ期間の自主トレを拒否。何もせずに過ごし、新天地・HSVへ赴いたのだ。

「HSVに呼んでくれたのが、シュツットガルトに行ったときの最初の監督だった(ブルーノ・)ラッバディアだったんです。『すぐ来てほしい』と言われて、5日くらい必死に準備してキャンプに行ったけど、全然、体が動かない。最初の公式戦も4部のチームに1-3で負けたうえ、僕が全失点に絡んでしまった。『今のお前は俺の知ってる高徳じゃない。このままじゃ使えない』とズバリ指摘されて、心底、反省しましたね。それからはシーズンオフの自主練は欠かさずやるようになりました。あれはホントにダメでしたね」と本人も苦笑する。

 この経験を踏まえ、壁にぶつかった子供たちに伝えたいメッセージがあるという。

「イライラやフラストレーションをネガティブな方向に持っていくんじゃなくて、パワーにしてほしいなと思うんです。当時の僕のように、多くの人がストレスを抱えるとやるべきことをやらなくなったり、サボったりすることが起きがちですけど、ダメなときほどよりやらなきゃいけない。逃げれば逃げるほどツケが回ってきますし、ロスも生じる。だからこそ、自分を追い込んで努力することが大事なんだと改めて強調したいです」

神戸初のJ1タイトル獲得に必要なこと

2020年正月の天皇杯決勝のときのように、酒井高徳には今季のリーグタイトル獲得で最高の笑顔を見せてほしい 【Photo by Hiroki Watanabe/Getty Images】

 酒井の言葉は非常に重い。本人もそういう日々を積み重ねて32歳の今を迎えている。そして今、彼のチーム・神戸はクラブ史上初のJ1タイトルまであと一歩と迫っている。シーズン終盤の1つ1つの勝負が命運を左右するのだ。

「残り試合も少なくなってきましたけど、優勝までの道のりは決して簡単じゃないんです。今まで個々ではサコ(大迫勇也)や蛍(山口)のようにタイトル経験者はいますけど、チームとしては未知数なので。だからこそ、今季、僕らが継続してきたハードワークや球際をおろそかにしないとか、やるべきことを徹底的に突き詰める必要があるんです。僕はベテラン選手としてそれを体現したい。HSVや代表で『やり切った』と思えるような悔いのない戦いをしたいですね。

 自分が神戸に来てから『タイトルを取らせる』とずっと言い続けていますけど、取ったのは2020年正月の天皇杯とスーパーカップだけ(苦笑)。やっぱりリーグタイトルは絶対にほしいと思うし、僕がいる間にできる限りのタイトルを取って成長させたいという気持ちがすごく強いです」

 こう語気を強めた酒井。彼の強烈なリーダーシップがあれば、神戸も未知なる領域に到達できるだろう。前へ前へと突き進む勇敢な男の行く先に最高の未来が待っていることを切に祈りたい。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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